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軍用機で稼いだ李英介のコレクション、日本の製菓一族が引き取る(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.12.09 11:27
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金正喜(キム・ジョンヒ)、安平大君(アンピョンデグン)らと共に朝鮮時代最高の名筆に挙げられている韓ホ(カンホ、号は石峯)の書。明国の名筆・朱之香は彼について「中国最高の書道家である王羲之・顔真卿とも優劣をつけがたい」と称賛した。
古美術専門家であるイ・ウォンボク京畿道(キョンギド)博物館長は8日「李英介が朝鮮時代に書画を取り扱っていたことは知られているが、これほどのコレクションが奈良国立博物館に保管されているというのは初めて聞いた事実」と話した。

チェ・ウンチョン東国(トングク)大学教授はこの日「博物館の収蔵庫内にいかに多くの遺物が保管されているのか、そしてどれほどの価値があるかを調査することが必要だ」と指摘した。それと共に「仏画・仏像などは盗難にあったものが少なくないが、朝鮮時代の書画はまともに取り引きされたケースが多く、李英介コレクションを違法に流出させたと断定するのは難しい」として「可能ならば購入などの正当な方法で取り戻すのが良いようだ」と付け加えた。李英介コレクションと推定される作品図録を見たチェ教授は「偽物が多い韓石峰の書は真偽を見極めなければならないが、南啓宇ウの蝶々の絵は非常に優れており、大院君の蘭も素晴らしい作品のようだ」と評した。

 
◆親日企業家・李英介とは

李英介は日帝時代に軍用機を作って納品した代表的な親日企業家だ。1906年慶尚南道(キョンサンナムド)に生まれた彼は、13歳の時に日本に渡った後、現地で小役人として社会生活を始める。その後34年に事業家に転身し成功を収めて帰国、38年から松島航空機の理事として仕事をしながら飛行機との縁を結ぶ。太平洋戦争の末期である44年には軍用機メーカーである金剛航空工業の社長に在職して解放を迎えることになる。彼は大東亜共栄圏の宣伝の先頭に立った東洋協和会会長および皇民実践協議会の政治局員としても活躍した。解放後には反民特別委に逮捕されて特別検察部に送検されたが、まもなく釈放された。61年の5・16軍事政変が起きると直ちに日本から脱出し、その後亡くなったと言われるが死亡時期は明確ではない。李英介は美術商としても有名だったが、日帝時代に日本へ数多くの文化財を流出させたという疑いを受けてきた。彼は別の親日派である尹宇景(ユン・ウギョン)旧皇室財産総局局長と結託し、徳寿宮(トクスグン)美術館が所蔵してきた日本の有名画家の作品5点を日本に横流しした疑いも受けている。また彼は日本海軍の名将・東郷平八郎と親しかったという。自身を英国のネルソン提督に例えた称賛に、東郷が「李舜臣(イ・スンシン)に比べれば私は下士官レベルにもならないだろう」と話したという事実も、李英介が聞き伝えたことになっている。


軍用機で稼いだ李英介のコレクション、日本の製菓一族が引き取る(1)

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