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【コラム】「チラシ」共和国=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.12.01 16:50
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証券マンが国語の純化に乗り出し、チラシを「ビラ」と改めて呼ぶと想像してみれば笑いが出てくるのが事実だ。証券マンがチラシをずっとチラシと呼ぶのは、実際、この日本語自体にある軽蔑的、自嘲的なニュアンスが込められているからだろう。そのようなチラシを政治領域に引き込んできて、国民の前で公式的に口にする時、権府と国民がともに一気にくだらない存在に転落するようなめまいを感じる。

すべて差し置いても、日本と対立している中で、日本語から来たそれほど品格があるようには見えない語感の言葉を、政府・与党の責任ある人物と青瓦台(チョンワデ、大統領府)報道官が競うように使う姿は痛ましく恥ずかしい。国格が地に落ちる轟音が耳元に響く。

 
国家機関の名誉が毀損されるとして大きく問題視される時代に私たちは生きている。しかし多くの場合、その名誉は誰かが傷つけるより、自ら壊しているように見える。さらに必ずしも名誉だけが重要なのか。名誉を毀損されまいと怏怏(おうおう)としていても、格調と威信と威厳と信頼が自動的に確保されるわけではない。その渦中にいざ国家の名誉が空しく墜落していればどうなるのだろうか。

韓国社会の現在の姿は壷の中で絶えずうず巻きが生じている状況を思わせる。あたかも近親婚を繰り返して活力を失った種族のようだ。民族と社会のエネルギーがどうしようもなく浪費され、退嬰と衰残の奈落に落ちる感じだ。こうなる根本的な理由は、おそらく我々が島国であるからだろう。島国といっても非常に窮屈な島国ではないだろうか。北側では船も浮かすことができず、海でもない鉄壁であり、他の3面も海といっても非常に狭苦しい。このように狭窄な状態では、いかなる大局的な見地も育たないだろう。したがって統一でなければ統一に似たことでもするべきではないだろうか。たわごとと徒労の三角波から抜け出すためには。

チョン・ジェスク論説委員兼文化専門記者


【コラム】「チラシ」共和国=韓国(1)

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