日本企業、ジェット旅客機で勝負(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.11.26 09:28
日本はこうした流れの中、小型機の生産を通じて航空産業進入の土台を固めた。MRJは三菱が作った地域内ジェット機という意味だ。主にアジア市場を狙っているが、東京から台湾やグアム・サイパンまで飛行できる。飛行距離が3600キロであるため、大陸間を飛び回るより地域内の運航に適している。高度な技術力が必要な大型機はボーイングやエアバスが掌握しているのに対し、中小型機は競争が激しい方だ。小型機市場では大手のカナダ・ボンバルディアとブラジル・エンブラエルが角逐している。これら競合他社より20%ほど改善された燃費を前面に出せば勝算があるというのが三菱の説明だ。MRJは現在、小牧南工場で毎月10機が生産される。注文が増えれば生産施設を増設したり、工場を追加で建設する計画だ。三菱はさらに100人乗り以下の小型機市場に定着すれば、200人乗り中型機の開発にも挑戦するという構想だ。アジア市場で技術力が認められれば、世界市場に進出するということだ。
日本は実際、第2次世界大戦まで戦闘機など各種軍用機を量産する航空先進国だった。三菱も飛行機製造の経歴が長い。第2次世界大戦中に神風特攻隊を乗せて米空母に突っ込んだ戦闘機「零戦」を作った。旅客機では後発走者だが、技術力自体は長く蓄積されていたとみられる。チョ・ジンス漢陽大機械工学部教授は「飛行機の中でジェット機は戦闘機と最も近い技術を持つ」と説明した。終戦後には米国の統制を受け、宇宙航空産業に積極的に取り組めなかった。このためジェット機の代わりに1962年からターボプロップ(ジェット+プロペラ)旅客機Y-11を開発したが、競争力が落ち、事業を終えなければならなかった。