【コラム】芸術韓国の素顔(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.07 09:47
話題も多く、落ち度も多かったアジア競技大会が幕を下ろした。スポーツ観覧はそれほど好まないし試合を見ることも多くないが、専攻のためか開幕式と閉会式は漏らさず見ることになる。これも偏食といえば偏食だ。汗を流して競技の準備をし、最善を尽くした選手たちに申し訳ない気持ちがないわけではないが、誰かが一度のミスでメダルを逃すような痛ましい場面を見なくても良いから、一方では気が楽だ。一種の自己合理化といおうか。
重要な国際大会が開かれても試合を見ないのは、放送を中継する者たちの態度のせいでもある。資料準備が不足したまま激昂した姿で韓国選手たちのメダル獲得だけをうながす上ずった声は、いくら努力しても適応できない。子供たちを小学校から殺伐とした習い事競争に追いやる苛酷な親のようだというか。試合が始まる瞬間、アジアの疎通と協力という大会開催の名分は完全に消え去り、すさまじい競争が残るだけだ。