【時論】物語が願っていること:韓国映画『鳴梁』の是非(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.01 11:25
映画『鳴梁(ミョンリャン)』について多くの議論がある。作品性に対する是非があったかと思えば今は歴史歪曲または「死者の名誉毀損」問題が提起されて、この映画の人気と同じぐらいに影もまた大きいのではないかと思う気がする。ここではひとまず「死者の名誉毀損」とフィクションの限界について扱おうと思う。
一般的に文化学では歴史を現在の観点で再構成することを「記憶」というが、歴史を扱った史劇が歴史ではない以上、事実(すなわち歴史)歪曲の問題は「記憶」歪曲の問題だ。また、この「記憶」の問題は、「死者」の子孫に影響を及ぼしかねないので歴史的素材を扱うにあたっては慎重でなければならないだろう。
しかし記憶談論の学者たちは、記憶は客観的準拠や一般的集団を有している歴史とは違い、特定の集団の産物だと見る。丙子胡乱(清が李氏朝鮮を侵攻した戦い)や張禧嬪(チャン・ヒビン、肅宗の後宮)らが作家によって絶えず新しい話として作られるのも「記憶」の変化による事件の再構成のためだ。こうなると創造物の虚構性と事実・歴史の間の境界はあいまいになり、著者は歴史歪曲にともなう被害を防ぐために「この話は創作したもので、その事実性は否定する」とか「ここに登場する人物は虚構の人物として事実ではないことを明らかにする」といった説明を付けたりもする。