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【コラム】法王が去ったあと大韓民国が迎える朝は(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.19 11:40
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法王が私たちのそばに滞在されたここ数日は幸せだった。穏やかだった。まるで赤ん坊がお母さんのふところに抱かれながら険しい世の中を眺めるように、明るくて安らかだった。心の依託というのは、こんなものなのか。理性の燭台だけを握っている識者や神は作られたものだと熱心に信じる無神論者は、超越的存在に心を託した記憶がない。だから自身を叱責して理性の欠乏を恨む。一日と空けずに発生する新しい事件に魂が抜け、あらゆる事が互いに絡み合って大変な紛争に巻き込まれる私たち韓国人の人生ゆえに一層そうだ。あえて無神論者を自認する筆者にとってもフランシスコ法王は違っていた。

貧者の大物、疲れ果てて苦しむ人にまず近寄るその方は、本質から遠ざかったこの時代に、その忘れられた故郷へ帰還する聖者であった。世の中に背を向けたまま自分1人で修養する普通の宗教家とは違い、世事の真ん中で気さくな行動と温和な笑顔を失わず、資本主義の貪欲によどみなく厳しい忠告を与える日常的な賢人だった。社会的な周辺の人たちから予言者的な証拠を見出すその方の霊性に、歴史と政治を分ける境界が空しく崩れ去った。世界12億人の教徒たちを恩寵の約束に導く聖者の姿勢と動線は、極めて素朴だった。その動線に従って人間中心の新天地に入ったここ数日は、幸せでないわけがなかった。心の憂患を、その方が代わってくれたからだ。

今日明るくなった朝が昨日とは違うわけがないものの、その方が離れてしまった空席が唯一大きいのは、残った者の義務が切迫するように近づいてきたからだ。「私の友よ、そろそろ1人で行きなさい!」と言っているようだ。セウォル号の遺族たち、江汀(カンジョン)村の住民、双龍(サンヨン)自動車の解雇労働者、密陽(ミリャン)送電塔の住民、元慰安婦のおばあさんはもちろん人生の重さを持て余しているすべての人々が受けた癒しと感動のメッセージに報いる、非常に格別な覚悟を固める時である。迫害、戦争、試練で汚された韓半島(朝鮮半島)の闇が「不滅の希望を抱いている朝の静けさに座を明け渡したように」、これからは大変な苦痛の道で互いを守って行く不滅の灯をつけろという法王の峻厳な訓令を刻む朝なのだ。
【コラム】法ꒉが去ったあと大韓民国が迎える朝は(2)


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