【時視各角】「国家改造」、その悲壮さについて=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.25 09:56
改革も革新でもない。改造だ。すべて壊して再び創るという意味だ。今の体系を壊して全く違う姿に変えようとする時にこそ正しい表現だ。このような厳重な話が政界の核心部から出ている。セウォル号惨事の収拾策をめぐって「システム革新」「パラダイム刷新」「内閣総辞職」のような表現は出てきた。「国家改造」はこれをはるかに越える巨大で野心に満ちた単語だ。本当にするだろうか。そうなるだろうか。国改造論の先駆者である安昌浩(アン・チャンホ)先生(1878年-1938年、号は島山)にその道を聞く。
「…全てをすっかり改造しなければならない。われわれの教育と宗教も改造しなければならない。われわれの農業も商業も土木も改造しなければならない…さらにわれわれの河や山までも改造しなければならない」。
1919年、中国上海で安先生は「民族改造論」を展開する。反復表現からは悲壮な決意が感じられる。「日帝に国を奪われたみじめな現実を勝ち抜くには力を育てるべきだ。そのためにはわれわれの全てを変えなければならない」と安先生は絶叫する。島山(トサン)アカデミー院長の白斗権(ペク・ドゥクォン)高麗(コリョ)大教授は民族改造論が出てきた背景を次のように説明する。