<ソチ五輪>泣かないで真央…あなたがいたからヨナがいた(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.21 09:59
だが、2009年世界選手権でキム・ヨナが世界新記録を立て、格差がどんどん広がり、二番手というレッテルが付いて回った。2010年のバンクーバーオリンピックでもキム・ヨナに押されて銀メダルに終わった。悔しい思いをした浅田真央はジャンプの基礎からやり直して、必殺技のトリプルアクセルを磨くのに心血を注いだ。2011年、肝硬変で他界したお母さんの墓地を訪ねて金メダルを取ってくると決意し、ロシア出国の日、選手団のユニホームを着て母娘の思い出が込められている常連の料理店に一人で行き、気を引き締めた。
だが、団体戦で残念な演技を見せた浅田真央は個人戦でも技量を取り戻せなかった。佐藤信夫(72)コーチは「訓練をよく消化したし、からだの状態も良かった。大きな舞台経験が多い選手がなぜこのように崩れたのか分からない」と残念がった。米国のワシントンポストは「浅田真央にトリプルアクセルはトーレードマークでありつつも、同時に呪縛でもあった」とし、トリプルアクセルが「両刃の剣」になったと評した。12才で初めてトリプルアクセルに成功した浅田真央は成功率が高くないトリプルアクセルを守り続けた。越えることのできない壁になってしまったキム・ヨナのためにトリプルアクセルに固執するほかはなかったという分析が多い。日本の『ザ・ページ』は昨年12月「美しい着地で着実に加算点を受けているキム・ヨナの技術と芸術性に勝つためにはトリプルアクセル二回で技術点数を引き上げるしかない」と分析した。