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安倍首相の歴史挑発に、松陰の影がちらつく(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.20 18:06
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松陰は萩の下級侍の出身だ。秀才だった。11歳の時に長州の藩主(毛利敬親)の前で兵学をスピーチした。彼は当代の学者を探して学ぶ。彼は脱藩した。藩の境界を越えるのは重罪だ。彼は米国密航を試みた(24歳)。失敗して自首した。監獄に閉じ込められた(14カ月)。彼は600冊の本を読んだ。練磨の時期であった。彼は萩の監獄で『孟子』を講義した。出獄後、私塾を開いた(28歳、1857年11月)。そして松下村塾が誕生した。

松下村塾は破格だった。侍優先の階級社会の時期だ。出身を問わなかった。門下生の身分は多様だった。それは既存秩序に対する挑戦だった。門下生の身分上昇の意志で動いた。その時代の国民的力量の発掘と拡大であった。伊藤博文は身分の低い侍(足軽)だった。

 
境内の「至誠館」に松陰の文字が並んでいる。孟子の教え(至誠而不動者未之也)がかかっている。「知性をつくせば、成し遂げられないことはない」。松陰の「知性」は、安倍首相の座右の銘だ。松陰は動機づけを重視した。「能力には差がある。だが誰にでも長所があって、長所がのびれば大成できる」。

松陰は長州の急進的な尊王論を発展させる。「一君万民論」として前面に出した。「国は君(天皇)が支配し、民は君のもとで平等だ」。「天皇中心の国」に改造しようということだ。彼の幕府打倒論は、単純な権力闘争ではない。彼の死後、その理論は国粋主義と一緒になって悪性進化する。

1858年、幕府は米国と修好通商条約を結ぶ。不平等条約だった。尊王攘夷派は反発した。松陰は怒る。大事件を謀議する。彼は謀逆にかかわる。再び投獄される(1858年12月)。江戸幕府に連行されていく。彼は暗殺の陰謀を告白する。5カ月後に処刑された(1859年10月、29歳)。安政の大獄だ。

彼の遺書は、「留魂録」として残っている。「体が武蔵野原で腐っても、世の中に残る大和魂」。大和魂は日本帝国の死の美学だ。太平洋戦争で絶望的な突撃の時に叫んだスローガンだ。

留魂録は決起の言葉だ。悲壮美の強烈な注入だ。弟子を激動させた。松陰は「草莽崛起(そうもうくっき)」と叫んだ。草莽は田舎に隠れて生きる、取るに足らない者を意味する。松陰は「取るに足りない民衆たちよ、いっせいに立ち上がれ」と言ったのだ。

彼の悲願は、熱血の動力として広がっていった。彼の一番弟子だった4人のうちの3人は刺客にあったり割腹をした。もう1人は幕府との戦闘で決定打を飛ばした。幕府264年の支配が終わった(明治維新)。彼が死んで9年後のことだ。歴史小説家の古川薫は『留魂録の世界』を書いた。その本は、安倍首相の愛読書として知られている。

李泰鎮(イ・テジン)ソウル大学名誉教授は韓日近代史の専門家だ。彼は松陰学堂の大量人物の輩出の理由をこう見ている。「開かれた教育の力だ。長州の藩主は、徳川幕府に追いやられた。その怨恨に、貧しい下級武士の身分上昇の意志、使命感の集団的共有などが集まったと見られる」。

松陰は神話となる。日本の近代史で松陰の地位と存在感は圧倒的だ。世宗(セジョン)大学の保坂祐二教授(日本地域学)は「松陰が構築した長州藩の思想的土台が明治体制の根本を作った。それが1945年敗戦時まで国の枠組みとして動いた」と評価した。

安倍首相は昨年8月、松陰神社に行った。参拝後、彼は「衆議院に立候補の意を固めた時も参拝した。(今後も)正しい判断をすることを誓う」とした。李泰鎮教授は「松陰は右傾化国粋主義の元祖だ。安倍首相の松陰神社参拝は、靖国参拝よりも意味深い」とした。保坂教授は「安倍首相は、松陰の世界に忠実だ」とした。彼の歴史挑発に松陰の影がちらつく。松陰の世界は安倍歴史観に結ばれていった。

2014年、安倍首相は「強い日本を取り戻すこと、新しい国づくり」を提示した(新年の辞)。その国政アジェンダは平和憲法体制の改編だ。安倍氏の確約は松陰の「草莽崛起」を思い出させる。

私は「吉田松陰歴史館」に入った。ろう人形で松陰のドラマがつくられていた。彼の生涯は、緊迫するように展開する。最後の展示物に目がとまる。「山口県出身の総理大臣」だ。

片方に伊藤博文と山縣有明がいる。反対側のろう人形は5人。桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作。桂、寺内、田中の3人は長州軍閥の核心だ。松陰門下の影響圏にある。松陰の影響力は戦慄的だ。安倍首相まで合わせて山口出身の首相は8人(うち4人の故郷が萩)だ。日本の47都道府県の中で最も多い。歴代の日本首相は57人(96代)だ。観光案内書は「日本の歴史の大きな足跡を残した宰相」と紹介した。

私はぎくりとした。彼らは韓国と悪縁で結ばれている。太平洋戦争後の首相は岸・佐藤の2人だ。2人は実の兄弟だ。佐藤首相時代に韓日新時代(1965年国交正常化)を切り開いた。松陰の歴史館に、岸の文字がかかっている。松陰が詠んだ詩だ。その文字は松陰の碑石(東送之碑、萩往還公園)に刻まれている。安倍首相は岸の外孫だ。岸の政治は安倍首相のロールモデルだ。岸の文字、佐藤の維新記念文字、安倍首相の松陰神社への参拝。松陰の影は長くて濃厚だ。

山口出身の大物との悪縁は韓国の侵奪だ。伊藤博文(初代朝鮮統監)と山縣はその元祖的存在だ。韓日強制併合の時(1910年)、首相は桂、寺内は初代朝鮮総督(3代統監)だ。彼らは明治時代、元勳に選ばれる。私たちの亡国史の元兇だ。


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    2014.01.20 18:06
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    吉田松陰のろう人形。江戸幕府の監獄に閉じ込められた時だ。山口県萩市の「吉田松陰歴史館」の展示物。彼の遺言は、幕府打倒の理論と決議を注入していた。
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