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【噴水台】読書さえも“量で勝負”の韓国文化…国語教育自体に問題はないか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.02 14:56
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何日か前、久しぶりに本の話がインターネットの検索順位に上がった。米国ニューヨークのサザビーズの競売で本1冊が約150億ウォン(約14億円)で落札されたというニュースだった。17世紀に清教徒の定住民が作った最初の印刷図書の『讃美歌集』だった。ところがここで注目されたのはネットユーザーの反応だった。「本の値がビル1つ分とは」「宝物でもなくて本1冊が…」「本1冊で人生逆転」など、関心はすべてその途方もない価格に注がれていた。これよりも10倍は高かった美術品の価格にこれほどの疑問を提起しなかったが、本の価格は高くてはいけないのだろうか?

最近、出版界の関係者から「ひと言で言うと本の市場が動かない。読者が本を買わない」という話を聞いた。宝物でもない本が高いのは変だというネットユーザーの反応は、もしかしたら本市場全般に広がっている情緒なのかもしれない。お金まで使ってどんな本を読むのかという情緒。韓国の文化体育観光部が最近発表した資料では、成人10人中3人以上が1年間に本を1冊も読まず、1世帯あたりの図書購入費は10年前よりも28%減った1万9026ウォンだった。韓国人はなぜ本を読まないだろうか。無知を指向し、知性を敬遠視して?

 
最近、何人かの若い友人と本についての話をして、こんな気がした。彼らは本に飽き飽きしたり、読書方法を知らなかったりしてさ迷っているという考えだ。ある友人は「高等学校の時、スペックを準備するのにぶ厚い大学ノート1冊分の読書ノートを作成したが、本を読もうとして死ぬかと思った」とした。学校で読めという多くの必読書は、何の話なのか、なぜ読まなければならないのか分からなかったということだ。それで大学入学後、こういう「むだな」読書をしないのだ。そういえば人々は「読書をたくさんするか」と尋ねる。このような質問を受けると、どれくらい読んでこそたくさん読むというべきか見当がつかないが、とにかく読書さえも量で問い詰めるのが私たち韓国の文化でもある。

文を書く技術について尋ねる限り、若い友人に「高等学校の教科書に出てきた歌辞文学のいくつかを覚えて先に韓国語のリズムを習ってみなさい」とすすめた。すると彼は「歌辞(歌詞)を学びながら真っ赤なペンで内容の分析だけしたところ、リズムは考えることもできなくなっていた」と話した。歌詞の本当の美しさを除いて何を学んだのやら…。今しがた大学を卒業して高位公職者コースに進んだある青年は「この頃、読書をしようという熱望は多いにあるのだが、どのように体系的に本を読むべきか分からない」と悩みを吐露した。学校に通っていた時「楽しい読書方法」どころか「必要な読書」をする方法も学んだことがないのだ。

この頃は、入試対策のために小学生の時から読書方法を教える塾が盛んだという。ところが皮肉にも、読む気がないのではなく、方法が分からず本を読めないという若者たちがあふれている。私たちの国語教育、読書教育自体に何か問題があるのではないだろうか。

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    2013.12.02 14:56
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    イラスト=カン・イルグ。
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