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【コラム】韓国、“日常が戦争”である場所

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.10.18 15:22
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この前ロシアで休暇を過ごしてきた。ソウルに戻ってみると私的な空間もあまりなくて、人も自動車も絶えず動きながら大声を出し、ブーブーと音を立てている感じだ。騒音に踏み付けられて頭がくらくらするようだ。火のそばの革が熱で縮むように、私の人生の空間も縮んでしまうようだ。1年ぶりに訪れた故国ロシアではむしろ、最初の数日間は私1人だけのような感じがしたほど韓国とロシアの差は大きかった。

ソウルに住む外国人はたびたび、私的空間の入る余地が少しもない生活リズムについて不平を言う。ソウルでは大人・子供関係なくみな忙しい。子供たちまで忙しいというのが驚くべきことだ。子供たちには勉強時間のほかにも、自分を知る時間や友達と付き合う暇な時間がなければならないというのにだ。韓国の子供たちは、同年輩のロシアの子供たちと比較できないほど早く起きて遅く寝る。幼い頃からより良い点数をとって、より良い大学に入って、より良い職場を手にするために競争する。だが、自分はもともと何が好きなのか、自分がどんな人間なのかを把握する心の余裕はない。韓国の子供たちはまるで大人のように、または大人のために生きているという感じがする。

 
いつだったか美容室で、若い韓国人美容師と韓国生活の苦労について話したことがある。彼は「しばらく外国に出ていると韓国は戦場のようだ」とした。それから「そんなふうに生きたくないけれど、あくせくしなければ他人に遅れをとるようだ」と言った。韓国で忙しいということは、社会的成功の基準だ。ほかの人々のように忙しくなければ、社会から速い速度で淘汰される。

世界的なビジネス国家モデルである米国はどうだろうか?米国の権威あるメディアのハーバードビジネスレビューの調査によれば、多くの企業管理者は、過多な業務量について不平を言いながらも、業務の一部を他人とシェアして自由時間を多く持てとの提案に否定的だった。「どれくらい忙しいのか」がその人に対する社会的需要、すなわち社会的成功の水準を示しているというのが理由であった。結局韓国でも米国でも、人々はたびたび自分の意志で忙しい状況を維持するという結論を得ることができる。しかしある社会の中で一部の集団がそのような生き方を選ぶことと、社会全体がそんなふうに生きるということは全く別だ。

ところで慢性的に忙しい韓国社会の裏面には「全くすべき仕事がない状況」も共存する。誰かが退職をする瞬間、状況が急変する。一生働くことに慣れていた退職者は、小さいことでもしたがるが、すべき事がない。自分のために時間を使う方法も学ぶことが出来なかった彼らは、ただ一生熱心に仕事だけをして、ある瞬間にすべき事が全くない人になる。ぞっとする。それによるむなしさを、どのようにして満たすのだろうか。ロシアの引退した高齢者たちは普通、孫を世話したり「ダーチャ」と呼ばれる別荘や週末農場で仕事をする。「ダーチャ」はロシア文化独特の要素で、高齢層に仕事を提供する重要な社会的役割を果たしている。

しかし韓国は土地が狭く「ダーチャ」を広めるのは不可能に近い。誰かのおじいさん・おばあさんになる喜びを享受する余裕も簡単には得られない。出産年齢がますます高齢化しているためだ。いわゆる「三放(サンポ)世代(恋愛・結婚・出産をあきらめた世代)」の現象も明確だ。その上この頃、韓国では高齢者だけでなく青年たちも働き口を探すのが容易ではない。競争がとても激しい。隣の日本でさえも引退者が希望する仕事を探すのははるかに易しいと聞いた。

一見すると、このような状況は空間とは大きな関連性がないようだが、実際にはそうでもない。物理的な自由は結局、心理的な自由につながる。自分の周囲をもっとよく見回す人は、自我実現を成し遂げる可能性がより大きい。私的・公的空間の圧迫を受ける人たちは、ただ目の前に見えるものだけを急いで追い求める。ストレスをなくすには、動いて考える余裕空間が必須だ。

イリーナ・コルグン経済学博士・韓国外大研究教授(ロシアのサンクトペテルブルク大学の国際経済大学院を2009年卒業。2011年に韓国外大ロシア研究所の研究教授として赴任)。

(中央SUNDAY第344号)

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