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「国防軍をつくる安倍式改憲は絶対にできない」…若宮・元朝日主筆(3)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.05 14:31
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◆韓国とは宿命のような縁がある

若宮元主筆は、比較的きれいな発音で正確な単語を駆使した。今は韓国語の堪能な日本の記者たちが多いが、彼がハングルを習い始めた80年代初めはそうではなかった。

 
--韓国、韓国語に関心を持つことになったきっかけは。

「79年の夏に初めて韓国に来た。当時の防衛庁長官の随行記者として来たが板門店(パンムンジョム)も行って第3トンネルにも行った。ところで1年後の80年9月には自民党内「アジア・アフリカ研究会」という集まりについていって北朝鮮にも行った。金日成(キム・イルソン)にも会った。1年のうちに韓国と北朝鮮のどちらも訪問したのだ。当時としてはまれなことだった。その時、韓国とは宿命のような縁があるのではないだろうかと思った。それで韓国語も習うことになった」

--いつから韓国語を学んだのか。

「81年9月から延世(ヨンセ)大学の韓国語学堂に通った。そして会社を定年退職した今年3月から西江大学韓国語教育院で再び勉強している。80年代初めに韓国語を学びにソウルに行くというと、周辺ではいぶかしがる人も結構いた」

--30年以上、韓日関係を注意深く見守ってきたはずだが、今の状況はどうか。

「80年代は韓日間に多くの変化があった。82年6月に歴史教科書わい曲問題が勃発して連日ニュースで報道された。その後日本で反省する、謝罪するという話が増えた。韓国が民主化された90年代前までは韓国に対する日本人たちの考えは複雑だった。70・80年代には朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領暗殺に光州(クァンジュ)事件もあったし、軍事政権が支配していた時なので恐ろしい国、闇の国というイメージが強かった。しかし90年代に韓国の民主化が進み、雰囲気が大きく変わった。日本側でも自民党一党独裁が終焉を迎えながら首相になった政治家たちが多くの謝罪発言をした。結局、98年に金大中(キム・デジュン)元大統領と小渕恵三首相の間から『日韓共同宣言 21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ』が出てきた。小渕首相は韓国の植民地化にともなう韓国人の苦痛に対して心から反省して謝罪するという言葉を述べて、これを金元大統領が受け入れ、和解と友好の道を共に歩くことになった。この時が韓日関係が絶頂に上り詰めた時期のようだ。今は、政治・経済的にはこうした関係改善の流れに逆らう反動の時代だと見ることができる」

--なぜ反動の時代が来たのか。

「韓国では90年代の民主化以降、慰安婦に対する補償など過去になかった要求が噴出した。一方日本国内では、すでに謝罪した事案に対して韓国がさまざまな要求をし続けてくるという不満が出てきた。国民関係が若干悪くなったといえる。しかし80年代以降の30年間の長い歳月で見れば、両国の国民感情は大きく改善された。私が今通っている韓国語教育院には若い日本女性が300~400人に達する。全体の学生の50%になるようだ。30年前には考えもしなかったことだ。そのころ日本から韓国語を勉強しに来る人の大部分は在日同胞だった。ある日本の外交官は韓国の言論報道が、過去よりも反日的だとしてさびしがっていたりもする。しかし私の考えでは、韓国だけでなく日本の言論もそうだということだ。新聞は減っているが日本の雑誌や本が強く反韓・半中感情を表わしている。3カ国のメディアが互いに影響を与える中で、過度なナショナリズムが悪循環を起こしているようだ」


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