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【中央時評】大統領の父親をかじって食べる息子(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.02 15:43
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偉大な人物の息子だからといって必ず偉大になれるわけではない。しかし息子が正しければ、父子は代を引き継いで尊厳を維持するだろう。「まっすぐ」とまでとはいかなくとも脱線だけでもしなければ、富める者の歴史性は保存されるだろう。

1592年、外敵が侵略した時に高敬命(コ・ギョンミョン)は高位の職を終えて全羅道光州(チョルラド・クァンジュ)に住んでいた。官軍が崩れるとすぐに高敬命は2人の息子と共に義兵を起こした。長男は38歳、次男は31歳であった。2人の息子は義兵の指揮官を引き受けた。錦山(クムサン)戦闘で父親と次男が戦死した。『国朝人物考』の倭難時立節人部分にはこのように書かれている。「一つの家で5、6人が相前後して命を捧げ、富める者も兄弟も全て忠孝や義烈として世の中にあらわれたのだが、これこそ古今でめったに見ないことではないか」。

1950年に韓国戦争が起きた時、毛沢東は中国の国家主席だった。28歳で長男毛岸英は参戦すると志願した。中国人民志援軍の総司令官彭徳懐は毛沢東に息子を止めてくれと言ったという。毛沢東は「彼はいずれにせよ毛沢東の息子」としながら止めなかった。参戦1カ月で毛岸英は米軍戦闘機の爆撃で亡くなった。毛沢東は息子の遺体を中国に持ってこなかった。ほかの人民も子供を戦争で失ったのだからと彼は話したという。毛岸英は今、北朝鮮の土地で眠り、中国指導者は北朝鮮を訪問するたびに墓地を訪れる。死んだ息子が父の国と北朝鮮の血盟をつないでくれているのだ。

1982年10月レーガンは米国大統領だった。息子ロナルドはバレーダンサーだったが、所属していたバレー団から解雇された。両親が助けるといったが彼は遠慮した。「必ず就職するから失業手当で持ちこたえる」と言った。彼が手当てをもらうために列に並んでいる写真が新聞の1面に掲載された。

朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の息子は一時、麻薬服用で監獄に出入りした。国民に大きな心配をかけたのだ。彼は企業家の助けで経済的に再起し、今では580億ウォン(約51億円)の財力のある人になっている。彼の母親は、令夫人の時期に貧しく無力な人々を見守る場所に多くの努力を傾けた。社会の助けで立ち上がった息子パク・ジマン氏がどのように社会に寄与するのか世の中は見守っている。
【中央時評】大統領の父親をかじって食べる息子(2)


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