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戦時作戦統制権転換交渉の曲折=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.18 11:25
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1950年の韓国戦争勃発後に韓国軍の作戦統制権は国連軍司令官→韓米連合司令官→韓国軍司令官へと渡ってきた。しかし戦時作戦統制権は依然として韓米連合司令官に属している。韓国政府は朴正熙(パク・チョンヒ)政権から作戦統制権返還を推進してきたが北朝鮮の核実験など現実的な脅威により平時作戦権だけ移譲され戦時作戦権還収は2015年12月1日まで猶予させた状態だ。

韓国戦争が勃発した50年、国連安全保障理事会は韓国に国連軍司令部設置勧告決議案を採択し米国に責任を委任した。当時の李承晩(イ・スンマン)大統領は米国の指揮権一元化要求により50年7月14日に韓国軍の作戦指揮権を当時国連軍司令官だったマッカーサー将軍に委譲した。マッカーサー国連軍司令官はウォーカー米8軍司令官に作戦指揮を任せ韓米連合作戦体制が始まった。53年10月に韓米相互防衛条約が締結され作戦指揮権は「作戦統制権」という用語に代替された。

 
軍事クーデターを経て政権の座に就いた朴正熙大統領は作戦権転換に積極的な意志を見せた。68年1月に青瓦台(チョンワデ、大統領府)襲撃事件と米プエブロ号拉致事件が発生するなど北朝鮮の脅威が強まると朴正熙大統領は対北朝鮮スパイ作戦などに対する韓国の独自作戦統制権を主張した。78年には韓米連合軍司令部が創設され国連軍司令部の作戦統制権は韓米連合司令官に委譲された。

80年の光州(クァンジュ)抗争も作戦統制権に影響を与えた。光州抗争など民主化運動の武力鎮圧過程で韓国軍の作戦統制権を持つ韓米連合軍司令官の役割が政治争点に浮かび上がった。こうした雰囲気の中で87年の大統領選挙当時に盧泰愚(ノ・テウ)候補は作戦統制権移譲を公約として提示した。だが、対北朝鮮抑制と有事状況という現実論が台頭し結局戦時と平時の作戦統制権を分離し韓国軍には平時作戦統制権だけ委譲することにした。94年12月1日に韓国軍は平時作戦統制権を委譲された。当時の金泳三(キム・ヨンサム)大統領はこれを「第2の創軍」として意味を与えた。戦時作戦統制権が本格的に議論されたのは盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代だ。盧武鉉政権は協力的自主国防の一環として戦時作戦統制権還収を主要政策として推進した。2006年9月16日に韓米首脳会談で盧武鉉大統領とブッシュ米大統領は戦時作戦統制権移譲の基本原則に合意し、翌年2月23日に国防部の金章洙(キム・ジャンス)長官とゲイツ米国防長官が会い移譲日を2012年4月17日とすることで合意した。

だが、戦時作戦統制権移譲発表後に国防部長官経験者ら軍重鎮15人が「戦時作戦統制権還収時に北朝鮮が要求する在韓米軍撤収などが問題になりかねない」とし還収反対の立場を表明し、星友会、元外交官、警察総帥などの声明が続いた。当時野党だったハンナラ党(現セヌリ党)は李明博(イ・ミョンバク)大統領候補を通じ戦時作戦統制権移譲の延期を選挙公約に掲げた。

李明博政権が発足した後2010年3月26日の哨戒艦爆沈事件を契機に戦時作戦統制権の移譲延期議論が本格化した。同年6月26日に李明博大統領はオバマ米大統領との首脳会談で、戦時作戦統制権移譲時期を2015年12月1日に3年7カ月遅らせることで合意した。

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