宮崎アニメはどのように誕生したか…ジブリ・レイアウト初めての海外展はソウルで(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.06.27 13:40
航空機部品会社を経営する一族の息子として生まれた宮崎氏は、皇族が通う学校で知られる学習院大学を卒業したエリートで、戦争の話に心酔していた兄の影響を受けて戦闘場面や飛行機に特別な愛情を見せていた。監督のデビュー作『未来少年コナン』(1978)によく表れていた反戦反核の平和メッセージを固守する中で、“戦前の平和だった時期”への漠然としたノスタルジー(郷愁)を表出してきた彼の独特な感受性は、実は戦争の残酷さを直接体験しなかった世代だったから可能だった。
宮崎監督の代表作をディズニーアニメーションと比較してみれば答えが出てくる。平和と反戦の共同体的価値を前面に出す彼は、西欧の風景画の遠近法的視点を日本式に折衝する問題(和洋折衷)と、ずっと戦っている。それはロマン主義絵画と印象派の色彩にコンプレックスをむき出しているディズニーのアニメーションとはレベルの異なるこだわりだ。