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産業博物館一つない“貿易8強”大韓民国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.12.04 17:43
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現代(ヒョンデ)自動車には伝説のように伝えられている「李代理ノート」というものがある。 主人公は李忠九(イ・チュング)元現代車社長(66)。 「技術後進国」だった1974年、イタリアに渡って設計やデザインを細かく記録した3冊のノートだ。 これに基づいて最初の韓国産モデル「ポニー」が誕生した。 最近までソウル大や国民大で講義をしていた李忠九氏は「このノートの話を始めると、若者たちの目が輝く。産業の発展のために数人が注いだ努力をより多くの青年たちと共有できないのが残念だ」と述べた。

大韓民国の貿易額が今月1兆ドルを超えることが確実視される。 11月まで9795億ドルだった。 今年はイタリアを抜いて世界“貿易8強”入りする見込みだ。

 
韓国の産業は1950年代、小麦粉・砂糖・綿織物の「3白産業」でスタートした。 これといった商品はなかった。 しかし「李代理ノート」のような汗が集まり、「かつら-鉄鋼-自動車・スマートフォン」と輸出品が進化した。 貿易神話を築き、戦争直後の53年に67ドルだった1人当たりの国民所得を2万3000ドルまで高めたのは「産業技術の力」だ。 LGグループを創業した故具仁会(ク・インフェ)会長が56年、初の国産ラジオ「クムソンA-501」を出した当時もそうだった。 韓国がサムスン・LGなどを通じて世界スマートフォン市場をリードする「電子強国」に成長すると予想した人はいなかった。

韓国はこのように産業部門で多くのことを成し遂げた。 しかしこうした精神と成果を相続する立派な「産業博物館」が一つもないという指摘が出ている。 産業技術振興院によると、1955-98年に国内または世界で初めて開発された「産業技術遺物」288件のうち、45%が流出または存否が把握されていないという。 例えば逓信部が開発した磁石式電話機(61年)、初の民間ジープ「新進ジープ」(69年)、ロッテが作った世界初コンポーネントオーディオ(90年)などが行方不明だ。 特に中小企業の場合、95%の企業が遺物的価値がある製品を倉庫に置きっ放しであることが分かった。

欧州が産業革命草創期の18世紀から技術遺物を収集して博物館を建設してきたのとは対照的だ。 ハン・サンヨン産業技術振興院技術文化チーム長(博士)は「産業技術博物館は単に過去の遺物を展示するところではなく、現在と未来につながる橋のような存在」と述べた。 韓国の場合、交通・科学など特定産業に限られた一部の博物館と企業広報館が存在するが、運営が不十分で、幅広い分野を一つにまとめた総合博物館はない。

慶煕大のシン・サンチョル教授(文化芸術経営学科)は「産業化の過程の象徴である歴史的遺物が次第に消えていく」とし「技術者のプライドを高めるためにも産業技術博物館の建設が急がれる」と指摘した。 産業技術振興院が遺物調査と産業技術歴史の整理など基礎作業を進行中だが、まだ前途は長い。 知識経済部は産業技術博物館の必要性を認め、建築費として4500億ウォン(約340億円)を推算するなど青写真を作っているが、進展は遅い。 知識経済部の関係者は「まだ予算も確保できていない。博物館の建設の本格的な推進は次期政権に入って可能」と述べた。

産業技術博物館の機能は精神的な遺産にとどまらない。 経済性も大きい。 観覧客の訪問や行事などで年間11兆ウォンの波及効果が見込まれる。 理系人材も増えると期待される。

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    産業博物館一つない“貿易8強”大韓民国

    2012.12.04 17:43
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    独ミュンヘンに建設された「ドイツ博物館」で、遺物の復元を担当する職員が展示物を手入れしている。 109年の歴史を誇るこの博物館には、およそ30分野・2万件の遺物が展示され、これを見るために毎年140万人が訪れている(写真=産業技術振興院)。
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