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【コラム】演劇のような金正日葬儀の様子(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.01.03 12:06
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金正日の死去から葬儀までの光景などを見ながら、ずっと考えていたのは彼らがとても哀れだということだった。胸を打って号泣しほとんど失神状態にまでなる姿、寒い広場で頭を上げることができず下げている姿を見ながらの考えだ。その涙が真心か、演技かを問うつもりはない。彼らはロボットか奴隷だった。人間の尊厳がこのように無視された体制が地球上にあったのか? 壇上にいる指導者という人々も哀れなのは同じだった。彼らの胸の内は何だろうか? 彼らも「生きる道はこの道だけ」という切迫さにしがみついているのではないだろうか。体制を維持できなければ自分たちの地位も全て消えるということを知っているためだ。彼らもそのシステムの奴隷であることは同じだった。北朝鮮は巨大な演劇舞台だった。上にしても下にしてもだれもが生き残るための演劇をしていた。こういう姿を見守った世界のメディアは「地球上にあんな国がまだあるのか」といいながら不思議に思うだけだった。南北の区別に無神経な彼らがコリアンをどう思うだろうか? 兄弟の恥部はまさに自分のことであり、われわれもまた恥ずかしいことだ。

金正日の死後、内外すべての議論の焦点は安定化か危機かに集約された。受け継いだ体制を金正恩が維持できるか、でなければ危機を迎えるかをめぐり吉凶を占うことだった。危機を心配する側は北朝鮮の核がどうなるか、難民が集団で発生すればどうなるかに焦点を合わせた。彼らの結論は結局金正恩体制の安定化を望むということだった。さらに踏み込んで南北がまた対話できる機会がきたと先走る人々もいた。韓国政府も内心北朝鮮の態度変化を望んでいるようだ。しかしそれは夢だった。北朝鮮は葬儀が終わるやいなや「われわれにどのような変化も望むな」と宣言した。それなら金正日の死はこのようにフォーラムの演劇見物で終わるということなのか?

 
違う。われわれの統一は明確にさらに近づいた。しかし誰も「統一」と言い出そうとしない。この時点で統一をいえばあたかも好戦的な人のように思われる風潮のためだろう。私もやはり北朝鮮が安定を成し遂げ韓半島が平和に統一される機会がくることを願う。しかし未来は誰にもわからないものだ。予測は理性的判断に基づく。しかし歴史で理性の判断が合っていた時が果たしてどれくらいあるだろうか。理性的な判断で、ソ連体制が崩れるだろうと予測した人がいたのか? ゴルバチョフのような人物が出てきて自ら体制をひっくり返すだろうと誰が知っていたのか? 金正日の葬儀を見ながら明らかになったことがあった。あんな体制ではこれ以上持ちこたえることはできない。夜が明ける前の闇が最も濃厚なように、いま太陽が上がろうとするのにわれわれは暗さに押さえられ見ることができなくなっているだけだ。


【コラム】演劇のような金正日葬儀の様子(2)

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