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「平昌」決定の瞬間に涙…李健煕会長の格別な思い(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.07.08 11:18
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水滴も数多く落ちれば最後には石に穴をうがつように(水滴穿石)、一歩一歩真心を積み上げた。しかし水滴は石にだけ落ちるのではなかった。

7日午前0時過ぎ、ジャック・ロゲ国際オリンピック委員会(IOC)委員長が「ピョンチャン」の名を読み上げると、涙をこぼした人がいた。三星(サムスン)電子の李健煕(イ・ゴンヒ)会長だった。平昌招致団が一斉に手を挙げ歓呼の声を上げながら太極旗を振っていた時、李会長は静かに涙を流すだけだった。発表行事が終わってから席を移動しても李会長は改めて涙を見せた。一緒にいた夫人の洪羅希(ホン・ラヒ)リウム美術館館長と長女の李富真(イ・ブジン)ホテル新羅(シンラ)社長、二女の李ソヒョン第一毛織・第一企画副社長と夫の金載烈(キム・ジェヨル)第一毛織社長も一緒に涙を流した。

 
李会長はめったに感情を顔に出さないことで知られる。涙を流すのはさらに異例だ。昨年2月5日に三星グループ創業者の李秉チョル会長生誕100周年記念式で追悼辞を読み上げる途中で父親への思いから感情がこみ上げ、めがねをはずして涙をぬぐったケースがあっただけだ。過去に平昌が2回にわたり招致に失敗したとき、李会長は特有の無表情を変えなかった。そんな李会長が涙を見せたことについて、三星のある役員は、「10年近く努力し、2回の失敗を経験した末に得た結果で感慨もひとしおだっただろう」と話す。

李会長が初めて平昌招致のために乗り出したのは2002年末だった。当時は2010年の冬季五輪開催地決定を控えていた。平昌は2003年7月にチェコのプラハで開かれたIOC総会でバンクーバーに苦杯をなめた。その後李会長は、「冬季五輪の平昌招致は所得3万ドル入りの決定的契機になるだろう」とし、平昌のために走り続けた。2005年のIOC総会では運動中に足をくじいて歩けないほどだったが、車いすに乗って参加した。当時総会では冬季五輪開催地を決定するものではなかった、しかし李会長はIOC委員らと会い支持を集める機会を逃すわけにはいかないと判断して車いすでの出席を強行した。


「平昌」決定の瞬間に涙…李健煕会長の格別な思い(2)

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    2011.07.08 11:18
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    「平昌」決定の瞬間に涙を流す三星電子の李健煕(イ・ゴンヒ)会長。
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