ゴッホが“少女時代”に会ったとすれば…(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.06.09 15:48
ゴッホがこのように浮世絵の線と余白を研究した末に描いた作品が今日多くの人から愛されている「花咲くアーモンドの枝」(絵<2>)だ。 青い空を背景に力強く美しく折れ曲がった枝と白く輝く花だけがある構図が、伝統的な西洋画とは全く違う。 これは甥の誕生を祝う絵だった。 テオに息子ができて、ゴッホの名前にちなんでフィンセントと名付けたと知らせてくると、ゴッホは喜んで南部フランスで最も早く咲く春の花、アーモンドの花を描いて送ったのだ。 この絵は東洋の梅花図に似ているうえ、新春の伝令であり試練の中で咲く希望の象徴という点でも梅花図に似ている。 ゴッホは東洋美術の哲学を理解する段階にまで来ていたのだろうか。
一方、パリ中心のジャポニスムを英国に率先して広めたのが米国人としてヨーロッパで主に活動した画家ジェームズ・アボット・マクニール・ウィスラーだった。 ウィスラーはジャポニスムブームが始まったばかりの1860年代、すでに着物(和服)を着た女性(絵<3>)を描いていた。 この絵の題名は「ばら色と銀」と色の名前で始まる。 ウィスラーは自分の絵からあるストーリーを読み取ろうとせず、あたかも抽象的な音楽の和音とリズムを楽しむように色彩と形態の調和を見てほしいと注文した。 そのウィスラーにとって浮世絵は、独特の面分割(西洋遠近法を取り入れても平面的に見える)と色彩対比、そして日常の刹那に美しさを見るという点で魅惑的だった。