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「黄長ヨプを差し出せ」…北朝鮮が大使館を包囲

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.10.22 09:45
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1997年2月12日の黄長ヨプ氏亡命当時、北京で何が…

黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮労働党秘書が1997年2月12日に北京の駐中韓国大使館に亡命した当時、北朝鮮が大使館の周辺を包囲し、韓国人外交官の退勤時に車両を追跡するなど執拗な脅しを加えていたと外交消息筋が明らかにした。消息筋は、「黄元秘書が亡命した当日、韓国大使館周辺には北朝鮮大使館のナンバープレートを付けた黒い車数台が集まり緊張した雰囲気となった」と伝えた。

 
特にこの日夜に韓国人外交官が退勤するため国防部から派遣された駐在武官の乗用車に同乗し大使館の敷地から出たところ、待機していた北朝鮮大使館の車両にマークされた。緊張した韓国側が車の速度を上げると北朝鮮側も速度を上げ、北京市内で深夜にカーレースが展開されたという。「北朝鮮の車がわれわれを人質にとり黄元秘書を差し出せと要求するかもしれない」と考えた韓国側は、外交特権が保障されている大使館に車を戻し、ようやく追跡を振り切った。

消息筋は、「当時の鄭鍾旭(チョン・ジョンウク)大使は、中国の官僚らが、『北朝鮮がどんな危害を加えてくるかわからない』として大使館に残ることを要求したため、黄元秘書亡命当日からフィリピンに移送された同年3月18日まで1カ月以上大使館の執務室で軟禁状態で生活した」と話している。鄭大使は1週間以上入浴もできないなど不便が多いことから、真昼に武官らが両脇で護衛する中を大使館近くの官邸に緊急移動し、簡単に体を洗い生活用品を持って大使館に戻るという生活を繰り返したという。

しかし鄭大使は、執務室に“軟禁”されている間、北京の当局とソウルの間を取り持ち、中国との水面下での交渉を指揮して黄元秘書が同年4月20日にソウルに到着するのに寄与したと消息筋は伝えた。韓国大使館は黄元秘書の身辺安全のため領事部の建物にある小部屋の窓を紙で完全に塞いだ後その中で過ごさせ、韓国人外交官らが毎日昼夜交代でゴルフクラブを持って警備に立った。韓国人外交官らは特に、領事部の建物が他の国の大使館の建物に囲まれている、北朝鮮側がこれらの建物に侵入した後に塀を乗り越えて領事部に入ってくる可能性を特に警戒していたという。



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