【コラム】国恥100年、もう「日本のせい」はやめよう(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.08.31 15:23
29日、韓日強制併合100年を迎えた。 乙巳勒約が締結された重明殿(ジュンミョンジョン)が復元された。 当時は徳寿宮(トクスグン)の一部だったが、日帝の時期に宮廷が縮小されたため外部に出された。 徳寿宮の後方にある貞洞(チョンドン)劇場の道を通ってそこを訪れた。 ついでに徳寿宮の中も回った。 石造殿の復元が進行されていた。 高宗(コジョン)は大韓帝国を宣布した後、徳寿宮内にこの2つの建物を含む6つの建物を新築したという説明があった。 複雑な気持ちだった。 国は風前の灯火のように消えかけていたが、王は宮廷を建てる? 帝国の威厳を見せなければいけないという考えだったのかもしれない。 しかしそのような財政があったのなら、なぜ大砲一つでも買って国を存続させようとしなかったのか。下水道がなくて鼻をつくような臭いがする漢陽の街をまず整備しようと考えなかったのか。それが朝鮮の王の限界だった。
臣下は何をしていたのか。開化派の尹致昊(ユン・チホ)は軍部大臣を務めた父に対し「官職を守ろうという欲があまりにも大きく、羞恥心が全くないようだ」と述べ、「王や為政者にも愛国心や名誉は見られない」と日記に書いた。 亡国の日の8月29日にも純宗は勲章を授与するのに忙しかった。 李完用(イ・ワンヨン)ら大臣はその数日前にすでに勲章を受けた。 国がなくなるのに勲章を受ける? その勲章は何に役立ったのか? 日本から年金や賜金を受けるのに使われた。 国を売って自分の安逸を確保しようというものだった。 周辺部の勢力も似ていた。 宋秉畯(ソン・ビョンジュン)らは一進会を結成し、滅びていく国の権力をめぐり両班(ヤンバン)と争いを繰り広げていた。 国がないのに政治をし、その権力というものに何の意味があるのか。 しかし王と臣下の意識はまひしていた。