【時視各角】安重根-伊藤博文の対決、まだ終わっていない(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.03.26 16:18
私は朝鮮王朝の末期、韓国にも伊藤博文のような人物が出ていればという想像をする。 ひょっとすると亡国を防ぐのに寄与したのではないかという空想でだ。 伊藤は1841年、今の山口県で下級武士の息子として生まれた。 身分は大したことがなかったが、持って生まれた知略と努力で明治時代を支える政治家になった。 ‘日本憲法の父’と呼ばれる伊藤を、今でも多くの日本人は‘偉人’として尊敬している。 昨年10月26日、東京品川区にある伊藤の墓地では、100周忌追悼祭が開かれた。 12月には故郷の山口県の天文学者が自分が発見した小惑星に「博文」という名前を付け、国際天文学連合の承認も受けた。
日々衰落していく韓半島で伊藤のような人物は出てこなかったが、その代わりに安重根(アン・ジュングン)が生まれた。 1879年だった。 安義士は30歳だった1909年10月26日、中国ハルビン駅で68歳の大物政客、伊藤を射殺した。 そしてちょうど100年前の1910年3月26日午前10時、旅順監獄で処刑され、殉国した。