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【連載】李御寧の韓国人の話<1>誕生の秘密②「スッスギ」は宇宙人でない

2009.04.15 16:55
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『若さの誕生』の講演が終わると、本を持った聴衆がサインを求めて集まってきた。 ほとんど機械的にサインをしていたが、突然「‘スッスギ’と書いてください」と話す女性がいた。 驚いた表情をすると、「私の子どもに贈ろうと思って」と話した。 ‘君’と書くべきか、‘嬢’と書くべきか分からなかったので尋ねてみた。 「女の子ですか、男の子ですか」。するとその女性は「まだ分かりません」と答えた。 そう聞いてから私はその女性のお腹が膨らんでいるのに気づき、そばにもうすぐ父親になる若者が立っているのを見た。 「スッスギ」は胎名だったのだ。

 
名前があれば胎児も私たちと一緒に存在する。 70年の人生で初めて、文字も知らないお腹の中の赤ちゃんにサインをしたのだ。 当初は笑いが浮かんだが、後に涙が浮かんだ。 最近の若者の言葉でいう‘眼湿’だった。 私と同じ時代に生まれた子どもの名前のことを思い出したからだ。 頭に白癬があり顔にはきまって疥癬が見られる子どもたちに、きちんとした名前さえもなかった。 「セットンイ(=牛の糞)」、「ケットンイ(=犬の糞)」、そうでなければありふれた「トルセ(=石)」だった。 男の子は卑賤な名前であってこそ長生きするという俗信のためだとしよう。 しかし女の子も生まれたばかり(=韓国語でカンナッタ)という意味で「カンナニ」、残念だ(ソプソパダ)として「ソプソビ」と呼んだ。 よくある「オンニョンイ」という名前も良くない年(オンチャヌンニョン)という言葉からだ。 ほかの人と違う特性のある名前といっても、ほくろ(チョム)があるから「チョムバギ」「チョムスニ」というところだ。

黒(コムタ)ければ「コムドゥンイ」、白(ヒダ)ければ「ヒンドゥンイ」、そして黒くて白ければ間違いなく「パドゥギ(=囲碁)」となり、ほとんど犬の名づけ水準だ。 村で「パドゥギ」と叫ぶときっと5、6匹の犬が振り向くだろう。 同名異人の女の子が犬の名前のようにありふれているのだから、名前がないのと変わらない。

しかし最近若い夫婦の間で流行している胎名には、男女の性別も、誰の性にするかという姓氏の問題もない。 ただ、すくすく(=スッス)と育ってほしいから「スッスギ」、のびのび(ムロッムロッ)育ってほしいから「ムロギ」というような名前だ。 丈夫(トゥントゥハダ)に育ってほしいという意味で「トゥントゥニ」、うれしい(キップダ)から「キップミ」、そして幸福(ヘンボク)と祝福(チュッポク)を受けてほしいという意味で「ヘンボギ」「チュッポギ」だ。 生まれる前から胎内で私たちと一緒に堂々と生きている「スッスギ」にサインをしたおかげで、その間忘れて過ごしていた私自身の胎児期についても考えるようになり、‘韓国人の話’に胎児が生活している神秘的で驚くような話も書くことができた。

『ブリキの太鼓』を書いたドイツ作家ギュンター・グラスはその小説の冒頭に自分の誕生の場面を詳細に描写している。 羊水の闇の中で元気に遊び、突然明るい外の世界に出ながら初めて見る光が何カンデラの電球だったのか、その商標がどのように生じたかを昨日のことのように説明してくれる。 そして想像力でグラスに劣らない映画監督スピルバーグは宇宙人(ET)を胎児の姿のように見せた。

しかしそれはあくまでも小説や映画の虚像だ。 私たちとは違う空間で生きているが「スッスギ」は確実に外界人でなく私たち中にいる内界人だ。 私たちが記憶していない誕生の秘密を解こうとすれば、小説家や映画監督の想像力だけに依存することはできない。 ロムルス兄弟に乳を飲ませて育てた狼の話から始まった『ローマ人の物語』と少し違う話をするには、狼を熊に変える想像力だけではできないはずだ。 詩人と科学者が手を握ってこそ、「スッスギ」が生きているあの暗くて神秘的な胎内空間の話を聞くことができるだろう。

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