北京五輪の成功をきっかけに胡主席の新しいリーダーシップと国家発展戦略が具体化するものといわれている。このような中国の最高権力者としての華麗な姿には、野望を易しく示すより、黙って時を待ち、黙って静かに行動してきた胡錦濤特有の成功スタイルがある。水力発電分野のエンジニアを夢見た胡錦濤が名門清華大学で修理分野を専攻した後、甘肅省の技術要員として働いていたときは、何の注目すら集めなかった。安微省でお茶の葉を売る店を経営した平凡な家庭という出身という背景もそうだった。しかし74年、甘肅省建設委員会党秘書になり、技術者から党の官僚に変身を遂げる。
国家リーダーの道に胡錦濤を導いた人は鄧小平元主席の利き腕と呼ばれた胡耀邦元総書記だ。地方視察に出た胡耀邦誌の目に入った胡錦濤主席は、89年、西蔵(チベット)自治区党委員会書記に抜擢される。その年の3月、1万人の僧侶やチベット人が首都ラサの距離を占拠して独立を要求するデモを起こすと、胡錦濤主席は直接、鎮圧作戦を陣頭指揮した。こうした胡錦濤の断固たる行動をめぐり、一刻では無慈悲な弾圧だったという批判も受けたが、こんな強靭な印象は、彼が中国最高指導部の厚い信任を受け、中央の舞台に跳躍する足場となった。北京五輪直前のチベット独立流血デモと大震災、テロ事態のような大型の悪材を比較的順調に乗り越えられたのも胡錦濤の危機管理能力を示すものだという評価もある。