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韓日協定締結の5カ月前に「独島密約」あった

2007.03.19 14:38
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42年間も迷宮入りしていた韓国と日本の「独島(ドクト、日本名・竹島)密約」の実体が表れた。 「月刊中央」は19日発売された創刊39周年記念4月号で、「韓日協定締結5カ月前の1965年1月11日当時、日本建設相・河野一郎の特命を受けてソウルを訪問した宇野宗佑自民党議員が城北洞(ソンブクドン)の朴健碩(パク・コンソク)汎洋商船会長の自宅で丁一権(チョン・イルクォン)国務総理に会い、‘未解決の解決’を大原則に全4項からなる独島(ドクト、日本名・竹島)付属条項に合意した」と暴露した。「月刊中央」は特に「その独島密約は翌日の1月12日に朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領の裁可を受け、これを知った宇野議員は13日、その間秘密維持のために利用してきた竜山(ヨンサン)米軍基地から日本の河野建設相に電話でこの事実を知らせ、河野はこれを当時訪米中だった佐藤栄作首相に伝えた」と明らかにした.

この過程で核心の役割を果たした人物は金鍾泌(キム・ジョンピル)元総理の実兄、金鍾洛(キム・ジョンラク)当時韓一(ハンイル)銀行専務であることが明らかになった。 金鍾洛氏(88)は韓日協定の屈辱交渉反対集会に対する責任を負い、外遊に出た弟・金鍾泌当時中央情報部長の‘代打’として、朴正煕大統領の絶対的信任を受け、独島問題解決に乗り出した。 金鍾洛氏は今回の独島密約を探査追跡した「月刊中央」客員編集委員ノ・ダニエル博士とのインタビューで、「韓国と日本が独島問題を‘今後解決すべものとしてひとまず解決と見なす’というアイデアは自分が出した」と述べたうえで、「こうして独島密約は結ばれ、当時の朴正煕軍事政府は韓国が韓半島の唯一の合法政府という明言を日本から受けること、経済開発に必要な経済協力資金の確保という2つの問題をともに解決したことになった」と明らかにした。キム氏は特に「朴正煕大統領が暗殺された後、全斗煥(チョン・ドゥファン)氏が政局を主導し始めながら、大きな問題になる可能性があったため、写本が一つもない独島密約文書を燃やしてしまった」とし、「そこにはソウルと東京を行き来する飛行機内で休まず清書した記録も含まれていた」と告白した。

 
「月刊中央」が韓国と日本の生存者証言と資料を踏まえて追跡した独島密約は、「解決せざるをもって、解決したとみなす。従って、条約では触れない」という2文を中心に、「(1)独島は今後、韓日両国ともに自国の領土と主張することを認め、同時にこれに反論することに異議を提起しない(2)将来、漁業区域を設定する場合、両国が独島を自国領土とする線を画定し、2線が重複する部分は共同水域とする(3)現在韓国が占拠した現状を維持する。 しかし警備員を増強したり新しい施設の建築や増築はしない(4)両国はこの合意をずっと守っていく」という4つの付属条項を付けていた。これに関連し、当時読売新聞ソウル特派員として独島密約のため丁一権-河野の連結に決定的な役割を果たしたシマモト・ゲンロウ(80)は「1965年初め、汎洋商船の朴健碩右会長の自宅で宇野宗佑議員が丁一権総理に独島密約文書を渡す席に出てきて、金鍾洛、文徳周(ムン・ドクジュ、当時外務次官)の3人がいた」と証言した。韓日協定の障害物除去のために結ばれた独島密約はさる42年間、韓日両国間で絶妙にも文句その通りに守られてきた。 韓国が独島を占有した状態でお互い自国の領土と主張し、相手に対する反論を提起しているのがまさにそれだ。 ただ、金泳三(キム・ヨンサム)政権当時、独島に新たに接岸施設を建設したことで、‘新しい施設や建築または増築はしない」という約束が初めて破られた。

独島密約の実体を追跡取材したノ・ダニエル博士は「韓国と日本が外交公式ラインを排除したまま私的チャンネルを通じて独島問題を妥結しなければならなかった全過程が明らかになった」とし「韓日関係正常化の過程で兄の金鍾洛氏は独島、弟の金鍾泌元総理は経済協力資金をそれぞれ受けて締めくくった金氏兄弟の秘密の動きに妙なアイロニーを見ることができた」と語った。

今年5月、今回追跡した「独島密約」の全貌を日本でまず単行本で出した後、韓国語で出版する予定だ。

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