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独立運動家の子孫「韓国は親日派が勲章を多く受けた」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.02.26 09:31
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慶尚南道密陽(ミリャン)出身の代表的な抗日武装独立運動家、若山・金元鳳(キム・ウォンボン、1898-1958)の子孫が「11月ごろソウルで記念事業会を発足させる」と明らかにした。

金元鳳の11兄弟姉妹(9男2女)の末っ子であり唯一の血縁だったキム・ハクボン氏が24日に死去すると、米国に居住する次男キム・テヨンさん(62)が25日午後に帰国し、このように話した。

 
キム・テヨンさんは記者らに対し「若山・金元鳳記念事業会」を準備中と伝え、記念事業会が発足すれば義烈団独立運動精神の継承はもちろん、中国独立運動現場など歴史紀行、大学生向け歴史教育などの活動をする予定だと説明した。

キムさんは連座制の苦痛など同族間の争いや戦争のつらい歴史の中で激しい家族史を経験したと語った。ところが26歳の時に米国に渡り、一文無しから苦労して事業を始め、白人主流社会の信頼を得たという。キムさんは米国で母の勧めで「義烈団若山・金元鳳奨学会」を設立して会長を引き受け、臨時政府記念館建設委員会の理事も務めている。

キムさんは金元鳳の叙勲問題に関する質問に「親日派が勲章を多く受けた。韓国では多くの民族反逆者に授章した」と話し始めた。キムさんは「勲章は国民のために何をしたか、真実が何かを見て授与するものだ」とし「金元鳳の叙勲問題には個人的にそれほど気にしていないが、象徴性があるため授与されれば親日派に戒めになるかもしれない」と語った。それでも叙勲が家門の慶事とは考えていないし、今までメディアに出るのを恐れていたと明らかにした。

金元鳳が北に渡った後に韓国戦争(朝鮮戦争)が始まると、南側に残された家族のうち金元鳳の兄弟4人、親戚5人が保導連盟事件などで銃殺され、キム・ハクボン氏の父は軟禁状態で死亡した。キム・ハクボン氏の夫も拷問の後遺症で死亡し、本人も警察に連行されてひどく尋問を受けた。キムさんは兄弟が孤児院に預けられて苦労しながら学校に通い、連座制が解除されてからようやく米国行きなど活動が可能になったと伝えた。

金元鳳は1898年に慶尚南道密陽(ミリャン)で生まれ、1919年に義烈団を組織し、国内日帝収奪機関の破壊と要人の暗殺など無政府主義闘争をした。1942年に光復軍副司令官に就任し、1944年に大韓民国臨時政府の国務委員および軍務部長も務めた。金元鳳は臨時政府を率いた白凡・金九(キム・グ)先生より日帝が掲げた懸賞金が高かったほど日帝に恐れられる存在だった。

しかし1948年に北に渡った後、同年8月に北朝鮮最高人民会議第1期代議員になり、同年9月に国家検閲相になった。その後、労働相や最高人民会議常任委員会副委員長など北朝鮮政権の幹部となり、1958年に金日成(キム・イルソン)の延安派除去で粛清された。

映画ではカリスマあふれる武装独立運動のリーダーとして描かれたりもした。2015年のチェ・ドンフン監督の映画『暗殺』でチョ・スンウが、2016年のキム・ジウン監督の『密偵』でイ・ビョンホンがそれぞれ金元鳳を演じた。

しかし金元鳳は「北朝鮮政権樹立に寄与した」という理由で独立有功者として勲章を受けられなかった。現行の独立有功者叙勲基準では北朝鮮政権樹立に寄与した人物は選定されない。報勲処は昨年、独立有功者の選定基準を改正して「光復(解放)後行跡不明者」(社会主義活動経歴者)も叙勲可能にしたが、ただ「北朝鮮政権樹立に直接寄与していない」人物でなければいけない。

今年の三・一節(独立運動記念日)叙勲対象者選定当時、金元鳳に対する独立有功者叙勲勧告案が出ると、政界は一斉に反発した。野党・自由韓国党の鄭泰沃(チョン・テオク)議員は声明書で「北の政権樹立に寄与した韓国戦争当時の戦犯活動に関係なく独立有功者として授与すれば、金日成に独立勲章を与えて子孫の金正恩(キム・ジョンウン)に年金を与えなければいけない」と主張した。正しい未来党の池尚ウク(チ・サンウク)議員は「金元鳳は北の政権樹立・維持・発展に輝かしい功績を残した人物であり、有功者として叙勲するというのはとんでもない」とし「わが国に献身した人物を守るのが報勲だが、むしろその人物を犠牲にした人たちを報勲対象にしようとしている」という立場を表した。

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