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韓国仁川に戦犯企業「三菱」の駅ができそうになった理由(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.12 10:13
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広域鉄道は私たちの暮らしと切り離して論じるのは難しいインフラだ。ところが駅が多いため、駅名にちなんで呆れるような事例もある。4号線「新吉温泉(シンギルオンチョン)駅」が代表的だ。当然近くに温泉があるかと思いきや、全くそうではない。温泉を求めて訪ねてきた人々のために、一時「駅周辺には温泉はありません」という案内まであったほどだ。このように呆れる状況に至った背景にはそれなりの事情があるのだろうが、それよりも大きな問題は誤りをそのままにしているという点だ。

駅名を変更するには行政手続きがあり費用もかかるが、それでも放置したままにすれば上記の事例のように今後も問題を引き起こす可能性がある。したがって最初に駅名をつけるときはさまざまなことを考慮に入れて慎重でなければならない。そのような点で2001年に開通した仁川(インチョン)地下鉄1号線の「東樹(トンス)駅」は非常に意義が大きい駅名といえる。行政区域として仁川市富平2洞(プピョンイドン)にあたるここは永らく「サムヌン」と呼ばれていたため、当初の予定ではサムヌン駅になるはずだった。

 
ところでこの「サムヌン」は植民地残滓がそのまま表れている名前だ。1930年代末、日帝は日中戦争の背後基地とするために富平一帯に造兵廠と呼ばれる大規模な軍需基地を作った。日本本土以外につくられた唯一の軍需工場だったほど重要な施設だった。歳月が流れて多くの場所が宅地や公園などに変わったが、今も国軍や在韓米軍が一部の施設を使っているほど規模が大きかった。

造兵廠からも富平駅に直結しているほど最も立地の良い位置に製鋼工場を運営していた企業が、最近、強制動員被害者に対する賠償判決を受けたが、これこそまさに履行を拒否している戦犯企業の三菱、すなわち「三菱=サムヌン」だった。当時、多くの韓国人が仕事を求めて富平に押し寄せたが、富平の中心を日本人が占めていたため、彼らは主に三菱工場から近い東所井面(トンソジョンミョン)一帯の山麓に集まって暮らした。

このように外部の人々が集まりながら固有の地名だった東所井はいつの間にか消えてしまい、三菱工場を行き来する人々が多く住むところということで「サムヌン」と呼ばれた。このように忘れられた名前になりかけていた東所井から借音した東樹が、地下鉄開通直前に郷土史学者の努力によって駅名として決まり、今ではかえってサムヌンが記憶から消えることになった。このため東樹駅は駅名が最も意味深く決まった代表的事例ということができる。


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    韓国仁川に戦犯企業「三菱」の駅ができそうになった理由(1)

    2019.03.12 10:13
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    仁川にある東樹駅は地下鉄開通直前に名称が変更になった。(写真=カカオ地図ストリートビュー)
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