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【写真】“歴史の目撃者”崇礼門1398-2008

2008.02.12 08:38
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1904
1398年に建設された崇礼門(スンレムン、南大門)は朝鮮(チョソン)王朝の顔だった。地方各地からの文物が首都の漢陽(ハニャン、ソウルの旧称)に入るためにはここを通らなければならなかった。20世紀の初め、崇礼門の外には商店と民家が密集していた。今は消えてしまった城郭がはっきりと見える。

 


1940
日帝は1907年に崇礼門周辺の城郭を壊し、道路を建設した。それ以後、朝鮮王朝の顔だった崇礼門は道路に囲まれ島のように孤立してしまった。列をなして走る自動車、崇礼門に隣接した洋式の高層建築物が時代の変化を実感させる。



1951
全国土を戦渦に巻き込んだ韓国戦争(1950-1953)中にも崇礼門は無事だった。600年近く耐えてきた崇礼門は戦争の悲劇を目の当たりにしながらも自身の堂々とした姿だけは失わなかった。韓国戦争当時、砲撃により石垣と屋根などが壊されたときでもそれは変わらなかった。



1963
韓国戦争(1950-1953)による被害を復旧するために1961年から1963年まで大規模な解体および復元工事が行われた。2008年私たちの心とともにに崩れ落ちるまでの崇礼門の姿だ。“祝・修造竣工”という祝いの言葉がむしろやるせない気持ちにさせる。

国宝
政府が1962年12月20日、崇礼門(南大門)を国宝第1号に指定した。漢陽の都城の八門の中で最も重要な正門であり、ソウルに残っている木造建造物中で最も古い門だった。朝鮮王朝が漢陽に遷都した後、1395年(太祖4年)に建築が始まり、1398年に完成した。2006年3月から中央通路が一般に開放された。

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