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<トオル孤喊>日本がデポドン理由に振舞うのはコミックショー

2007.11.28 15:11
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東京大学黒住真教授インタビュー



 
--近頃、東京大学で学生たちを教えることにどう感じるか。

「つまらない」

--どうしてか。

「大学が大学の本来の存在理由を喪失している。早い話が現在の東京大学はあなたが通った東京大学ではない。経済学がすべて経営学に変わっている。その変化が端的な例だ」

--もう少し詳しく説明してくれ。

「経済とは、過去には経世済民の学問だったし、アダム・スミスも経済は人間の道徳と分離することができないということを力説していた。しかし今の経済とは道徳と関係ない根のないお金の流れであるだけだ。それをうまく操作する技術を学ぼうとする浅薄な学生たちばかりが東京大学キャンパスの溜まり場になっている。

--グローバリゼーションを標榜する世界的な情勢ではないのか。

「そんな言葉で簡単に済ませられない国際社会の複合的現実がある。東アジアにおいて20世紀のすべての近代化、産業社会化の過程はもっぱら米国との関係でのみ意味があるものだった。個別国家の米国との個別的関係で彼らのすべての運命が決まった。しかし今は米国と無関係な諸国家間の相互関係と交渉が増大している。例えば東京大学もドイツ語、フランス語、ロシア語科が門を閉めなければならない状況で、むしろ中国語と韓国語の人気が急増していることは西洋依存的思考がすでにアジア諸国自らの関係に変化しているということを意味する。しかし世界は多元化され、重層化されているだけに歴史、文化、哲学の人文学的深みがますます要求されている」

--そういう変化が東アジアの未来運命に及ぼす影響は?

「究極はヨーロッパ連合(EU)のようなアジア連合ができるほかない。国家を超越する連合モデルとしてEUは非常に成功的だ。ところでインターネット革命はアジアの連合をますます可視化させる。EURO貨が高くなっているように、最小限アジアの貨幤も単一化されていく方向に進まざるを得ないだろう」

--とても荒唐な予言ではないか?

「問題は連合できるようにする理念だ。EUはよく見ればキリスト教連合だ。キリスト教という精神世界が背景にあるのだ。しかしアジア連合は何を背景にできるか。こんなことをいうと笑うかもしれないが、私はアジア連合は“気連合”にならなければならないと思う」

--とても形而上学的談論ではないか。

「東洋人は深い内面からキリスト教文明が非常に迷信的水準のその何かをよく知っている。東洋の近代的思考を形成した要素として、私は理・気・志という3つの柱を持つ。理はロゴス(理性)的側面で、志は意欲・意志・冒険の側面だ。ところでこのうち、もっとも重要なのは気というアニマ(anima)すなわち生命力だ。東アジア文明の根底に敷かれた儒教は結局“気”という生命力と合理性を中心に発展してきた思想だ。アジア連合の中心として儒教が再解釈されなければならないという話だ。あなたの古典学に対する関心もこのような理由ではないのか」

--儒教だと狭く陳腐に思われる。

「そういう印象の根底には“思想=西洋思想”という根深いユーロセントリズムが敷かれている。カントとヘーゲルは現代社会にまだ意味がある立派な思想で、退渓や伊藤仁斎には思想家の資格がないという考え、そして儒教は思想ではない忠孝や義理程度の封建倫理という考え、こんな途方もない考えの根底には日本帝国主義の悪が敷かれている。日本が明治時代から東アジアを支配しながら帝国主義的文明論の素材として儒教道徳の服従の論理を悪用してきたからそんな誤解が生まれたのだ」

--気のようなあいまいな言葉でアジアの政治的連合が可能か。

「現代物理学は有機物と無機物の区別を根源的になくす方向で発展している。すべての物質を生命として把握する有機体論と現代科学と気と儒教的合理性はひとつの概念だ。そういう思想としてアジアを連合させれば最も望ましいパワーの軸が生まれるだろう」

--東京大学の倫理学教授として韓国大統領選挙をどう見るか。

「韓国の大統領選挙は世界史の真のフロンティアからその本質的感覚を喪失しているような感じがある。大統領選挙候補に対する価値基準が“経済発展”にとらわれすぎているということは悲劇だ。この地球上で今“経済発展”という言葉は消えなければならない。この地球上の国々が富の絶対的価値を増大させるということは、これ以上受け入れにくい切迫した状況をもたらす。経済発展は環境破壊、階級格差など人間がこの地球上で幸せに暮らすことができない条件を作るのに貢献するだけだ。経済を根源的に拒否するという意味ではなく、非常に新しい概念の発展戦略が必要だというのだ。儒教は経済と道徳を一致させてきた偉大なパラダイムだった。覇道のない王道を追い求めた」

--日本のように豊かに暮らす国の思想家であるあなたがそう言えば、金持ちの正当化としか聞こえないのでは。

「どうして人類学という学問が必要なのか。アフリカの奥地を米国式に豊かに暮らせるようにしなければならないという暴力はもう受け入れられてはいけない。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長も力説するように、地球温暖化など環境破壊はこれ以上理念ではない今日・明日の緊迫した現実だ。すべての国が相対的に違う様態の生を追い求めなければならない。日本はもちろん中産層を確実に安定させる経済発展をしてきたが、そういうモデルがよいといってもそれほどたやすく達成できるものではない。それは長い歴史と価値の産物だ。韓国が経済的発展を願うのならむしろ北朝鮮という偉大なる虚の可能性がある」

--左と認識される改革性向の政権が拙い姿を見せたから右的傾向が韓国社会に広まっている。日本の右傾現象は?

「問題の核心に平和憲法がある。平和憲法自体が米国によって強要されたもので、それが東アジア文明史において、日本帝国主義の蛮行に対する深い反省から湧き出たのではないということには問題があるが、日本の武力化を禁止する平和条項は絶対的に維持されなければならない。福田首相も平和憲法を維持しようという立場だ。米国が世界を一方的に支配する時代には世界の政治的リーダーシップが非常にお粗末になるほかなかったという事実に我々は注目しなければならない。そしてそういうリーダーシップ堕落の極致にブッシュ大統領のような覇道の指導者がいるのだ。しかし世界が多元化してそういう指導者はもう浮上しにくい。米国を見よ! ヒラリー、オバマ、ゴア、皆が過去のリーダーシップとは水準が違う。金正日(キム・ジョンイル)も過去のイメージから脱皮しているし、日本ももっと精巧なリーダーシップを要請している。日本の右派は一種の将軍たちだ。社会的レバレッジが少ないから芸能やゲームやマンガのような浅薄な文化現象を活用する似非宗教のような感じを与える。韓国の右派も真の右派ではない。右派なら反米民族主義となければならないのに、民族主義もなく、反米どころか親米さえまともについていけない親米をしているだけだ。韓国の政治的リーダーシップも対局的に見れば進化していると私は判断する」

--最近南北首脳会談はどう見るか。

「北朝鮮がデポドンミサイルを飛ばしたことをもって日本の武力化の言い訳にしようと安倍、麻生氏のような指導者たちがしゃしゃり出た。ところで実はデポドンミサイルは隣の海にどぼんと落としたおもちゃのようなものだ。そんなおもちゃに全世界が動揺するというのはまったくコミックショーだ。福田首相まで北朝鮮の日本人拉致を言い訳にしゃしゃり出ているが、人を挙げて言えないけれども、むしろ日本人たちが東アジアの罪のない人民たちを数千数万人拉致してきたと思う知性人もいる。朝鮮の慰安婦は拉致ではなくて何か。一言でもうそんな冷戦時代の偽装されたショーから互いに脱却しなければならないというのだ。幼稚な国際言語を高級化させなければならないときが来たのだ。北朝鮮を悪の枢軸だというが実は私は倫理学者の1人として、北朝鮮社会は一方的に規定することができないと思う。理念的硬直性を外部で非倫理的に規定しなければならない理由はない。米国や中国、日本のような強大国が実際に国際社会でしでかしてきた罪悪に比べたら北朝鮮は単なる貧しい国、ちょっときばってみた国にすぎなかっただけだ。北朝鮮が悪いことをしたとしたら、どれだけ悪いことをしたというのか。冷静に考えてみよ。ただ韓国の人々に北朝鮮が否定的に映るのは6.25戦争を通じてあまりにも多くの憎しみを残したからだ。しかしそういう巨視的問題は南北だけではなく全世界が責任を負わなければならない。6.25戦争で日本はどれだけ多くの金を儲け、どれだけ早く戦後の傷を復旧させることができたのか。もう人類は倫理的に正直にならなければならない」

--当為的命令だけで可能なのか。

「古典がどうして必要なのか。いくら悪い者たちがのさばっても善は結局勝利する。私が言うことは現実であって当為ではない。ところで不幸にも私たちは死んだ人々が残した古典のみを教えている。これから私たちは生きている人々の古典を残さなければならない。そしてすべての政治的リーダーシップの核心には結局、気という宇宙の生命力があるということをいま一度強調したい。それを私たちは聖人と呼んできた。その永遠の理想のために人類は今も努力している」

◆黒住真=1950年、岡山生まれ広島で育つ。東京大学倫理学科に入学して同大学院から博士課程まで終え、現在、東京大学倫理思想史教授として在職している。丸山眞男以後の日本思想史研究で大成した思想家で、思想そのものの論理構造よりは人間の生と社会、そして制度の中での思想を幅広く研究してきた。日本思想のアジア全体の歴史的脈絡を重視した「近世日本社会と儒教」(2003)は画期的著書として評価されている。

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