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ミュージカル『明成皇后』底力で魅了・・・観客100万突破4つの成功キーワード

2007.03.03 11:49
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2007年3月1日、韓国ミュージカルの新しい歴史が刻まれた。創作ミュージカルの代名詞である『明成(ミョンソン)皇后』がついに観客100万人を突破したのだ。大韓帝国時代の非運の国母を素材とした『明成皇后』が、ちょうど3.1節に100万人目の観客を記録したというのは、まるで仕組んだシナリオのようだ。韓国ミュージカルとしては初めて100万人観客時代を開幕した『明成皇后』の成功要因を4つのキーワードで整理してみた。

 
1.底力 12億制作コスト調達できず公演延期も

ミュージカル『明成皇后』の初演は1995年。当時としては史上初の製作コスト12億ウォンという超大型プロジェクトだった。明成皇后の期日に合わせて10月8日に開幕しようとしたが始めから難題がふりかかった。

予算確保ができず、公演が霧散。制作社であるエイコムのユン・ホジン代表(59)は公演会場である芸術の殿堂に理由書を書き、辛うじてひと月ほど時間の余裕を得た後、あちこち資金確保に出た。「大ざっぱなやり方だったがこれ以外には別の方法もなかった」と言う。

98年米国リンカーンセンターで公演した時には舞台セットを持って行っても劇場の外で寒い風にさらされなければならなかった。予想したより大きいセットだということで劇場側から金を 要求された。制作陣は「こんな目に合うくらいなら初めから米国に来なかった」と言いながら36時間耐えて、やっと劇場に入ることができた。ユン代表は「しかし問題がある度に公演がストップせず12年間続いたのを見ると明成皇后の寃魂が強いようだ」 と話した。

2.愛国主義 ジャンヌ・ダルクのような面が浮上

この作品以後、明成皇后は『明成皇后』という名前で一般人たちに刻まれた。この時まで明成皇后という言葉には義父の大院君をそそのかす悪い嫁、あるいは王権に挑戦する干渉の多い妻という否定的なイメージがあった。

これを覆したのは李文烈(イ・ムニョル)作家の小説『狐狩り』だった。『狐狩り』をもとに作品のシナリオが書かれ、他の部分は可能な限り省略して明成皇后のジャンダルク的な面に集中することができた。エイコムホン・ギョンオク企画室長は「かなりのナショナリズムと批判することができるが、明成皇后を通じて韓国人の自負心を新たに鼓吹することができたのではないか」とする。

3. スペクタクル 傾いた回転舞台が圧巻

45人の出演陣を含む150人の制作人員は今も国内最大規模だ。特に自然な劇の流れを主導する回転舞台は明成皇后の圧巻。単純な平面ではない、傾斜をもって舞台が回り、当時の朝鮮を取めぐって渦巻く国際情勢を象徴する。

30回にわたる舞台転換が暗転ではなく、照明が灯ったまま行われる『明転』であるのも特異な点だ。ひんぱんな暗転を与えると、退屈な歴史劇の流れが断たれてしまうことを懸念したからだ。そのため明成皇后は舞台転換の際の俳優の芝居、音楽、照明の変化がぴったり合わなければならないタイミングの芸術ともいえる。

4.名品 初演の衣装費だけで2億…照明も「芸術」

初演当時、衣装費だけで2億ウォンを投入した。600着に至る舞台衣装は朝鮮王朝の伝統服式を基礎にし、布は落ち着くように洋装の材質を使った。

高級なイメージに大きく貢献したのは照明。1分に平均3~4回ずつ変化しながら雰囲気を演出する。特に明成皇后の死後、赤い舞台のトーンや終わりの「民衆よ起きなさい」の場面で一筋の鋭い青い光が差すなど、視覚芸術の極致という賛辞も受けた。おかげで99年第10回LAオーベイションアワーズで韓国初の候補に上がったのもこの照明パートだった。

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