韓国の民族主義は相変わらず引火性が強い。 小さな火の粉でもすぐに発火するような活火山だ。 日本が独島(ドクト、日本名・竹島)問題で、中国が東北工程で歴史的境界線を無断侵入したせいでもあるが、相手を静かに説得して収拾できるほど大きな国家力量や精神的資産を持てていないのも事実だ。
叫びによって目覚めた韓国の民族主義は抵抗性が強い。 この「抵抗性」は経済成長に突破口を見いだしたが、まだ歴史的な怨恨をなだめることができず頻繁に胸を痛める。 「ヨーコの話(竹の森遠く)」をめぐる最近の事態がそうだ。 加害者と被害者が入れ替わったこの小説の歴史的偏向性に抗議しながら在米同胞2世が登校を拒否し、これを契機に米国東部地域の韓国人らが「歴史を正しく知らせる」運動を繰り広げようとしている。 感傷的なストーリーの中に日本の野蛮的侵奪行為が隠ぺいされる危険があり、歴史的実像が外国人に誤って伝わる素地が多いということだ。 読んでみると、確かにそういう危険は十分ありそうだ。
「竹の森遠く」が原題のこの本は小説形式を借りた手記だ。 南満洲の官僚だった父と軍に入隊した兄を残し、3人の母娘は日本の敗戦消息を伝えてきた知人の勧告で夜中に逃走する。 羅南(ナナム)からソウル駅に、釜山港から福岡に、さらに京都駅へとつながる旅は、12歳の少女ヨーコにとって地獄だった。 敗亡した帝国日本も、廃虚になった日本社会も面倒をみてくれない彼女たちは結局は難民だった。