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【噴水台】開城

2004.12.16 20:08
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開城と言えばいつも善竹橋(ソンジュクギョ)が思い浮かぶ。 忠臣・鄭夢周(チョン・モンジュ)の散り乱れた鮮血、「この体が死んではまた死に、百回死んでも…」という丹心歌も同時に。 高麗(コリョ)王朝500年の都の地は、それほど切ない歴史の片鱗を残したまま忘れられてきた。 物理的に軍事分界線に遮られ、歴史的には朝鮮王朝の陰に隠れ、何かの伝説のようにかすんでいる。

918年に高麗太祖の王建(ワン・コン)が韓半島最初の統一国家を創建した当時、名前は松岳(ソンアック)だった。 風水地理上の主山が松岳山だからだ。 山の名前の由来は王建の誕生神話である。 元来は扶蘇(ブソ)山だった。 新羅(シルラ)の風水家、八元(パルウォン)が王建の4代祖・康忠(カンチュン)を訪ね、「山に松を植え、岩肌が見えないようにすれば、三韓を統一する人物が生まれるだろう」と予言した。 こうして松を植えて岩を覆うと、松岳となり、王建が生まれた。

 
開城という都市は、このように1000余年前から韓半島統一と縁を結んだ明堂だった。 同時に分断の悲劇を最も痛々しく体験した土地でもある。 韓国戦争(1950~1952)初期には最前線だったため、米軍の爆撃で廃墟となった。 戦争中盤の1950年末から6カ月足らずの期間、昼には南の軍隊が、夜には北の軍隊が交互に出入りしながら荒廃化した。 このように破壊されて忘れられてきた王朝の都の地が、南北合弁工業団地として注目されている。 工業団地の最初の生産品である開城鍋が、ソウルのあるデパートで飛ぶように売れたという。

90年代初めにソウルを訪れたたヘルムート・シュミット元ドイツ総理は、統一の教訓を尋ねると、「統一は突然訪れる。高いからお金をたくさん儲けておくように」と助言した。 西ドイツが東ドイツとの交易を可能にした基本枠組みの「ベルリン協定」を締結したのが51年だ。 それから38年ぶりに訪れた統一だが、突然だったようだ。 その間、西ドイツが東ドイツのものを買い、東ドイツの土地に投資した結果、ベルリンの壁が崩壊したという点で、統一費用が少なくなかったというのははっきりしている。 統一後の費用はもっと凄まじい。 これまでの東ドイツ経済再建費用は2100兆ウォン(約210兆円)と推算される。

開城工業団地の開発に合意したのが、わずか3年4カ月前だ。 鍋セット価格4万ウォン、工業団地1次造成費2200億ウォン。 出発はドイツに比べて速くて安い。 しかし開城への道はまだ遠くて険しい。

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