広場に雨が降る/遺がいを意識し死んでしまったような命が/それだけの事情を残しこの世を去ったあの日/おにぎりを渡す母の手の甲/歳月の苦しみが細い血管になり/深い河のなかに潜るように/悲痛な命の雨が降る
慶北(キョンブック)大・英文学科4年生だった24歳の金潤煥(キム・ユンファン)氏は広場を見ながら死を歌った。1956年だった。同氏は、『広場で』というこの詩で文壇にデビューした。戦争の傷こんが残っている貧しい時代だった。まだ世の中を恐れている青年のえん世的感受性も読み取れる。「遺がい」と「深い河」「悲痛な命の雨」などといった詩語には、感傷が溢れている。同氏は、背が高くハンサムな、人生の本質を探求する若い詩人だった。壮年以降、金潤煥氏の「政治広場」には雨が降らなかった。権力が重なり、富貴がついてきた。同氏には、常に明るい日差しが照らされた。広場は人々で賑わった。同氏は、暖かかった。持っているものを分け合おうとした。3金(金大中前大統領、金泳三元大統領、金鐘泌自民連名誉総裁のこと)時代の成功した政治家らがそうだったように、同氏も政治資金をたん溺した。受け取った金は、惜しまずに配った。