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【噴水台】詩人、金潤煥

2003.12.08 20:57
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広場に雨が降る/遺がいを意識し死んでしまったような命が/それだけの事情を残しこの世を去ったあの日/おにぎりを渡す母の手の甲/歳月の苦しみが細い血管になり/深い河のなかに潜るように/悲痛な命の雨が降る

慶北(キョンブック)大・英文学科4年生だった24歳の金潤煥(キム・ユンファン)氏は広場を見ながら死を歌った。1956年だった。同氏は、『広場で』というこの詩で文壇にデビューした。戦争の傷こんが残っている貧しい時代だった。まだ世の中を恐れている青年のえん世的感受性も読み取れる。「遺がい」と「深い河」「悲痛な命の雨」などといった詩語には、感傷が溢れている。同氏は、背が高くハンサムな、人生の本質を探求する若い詩人だった。壮年以降、金潤煥氏の「政治広場」には雨が降らなかった。権力が重なり、富貴がついてきた。同氏には、常に明るい日差しが照らされた。広場は人々で賑わった。同氏は、暖かかった。持っているものを分け合おうとした。3金(金大中前大統領、金泳三元大統領、金鐘泌自民連名誉総裁のこと)時代の成功した政治家らがそうだったように、同氏も政治資金をたん溺した。受け取った金は、惜しまずに配った。

 
金潤煥氏は、冷徹な現実主義者だった。「系譜政治」の魅力に、いっぱい酔っていた。勢力争いの政治で系譜は、生存と勝利を得るための戦闘単位であった。詩人らしい政治的想像力も繰り広げられた。権力がどこから生まれるのかについての鋭い感覚があった。同氏は、大勢を決める実質的かつ単純な要素を重視した。判断が下されれば、直説的かつ反復的に周辺勢力を説得した。同氏が動く所には権力があった。ある人は同氏のことを「権力ヒマワリ(ヒマワリの花が常に太陽に向けて咲いていることから、権力指向との意」と冷やかしたりもした。金潤煥氏の立場から、そうした非難は不当だった。同氏にとって、権力は理念ではなく実用だった。権力世界で、正しいことと悪いことはなかった。ただ得るか失うかのゲームだった。変身または変化が、金潤煥広場の価値であった。老年に入り、同氏は広場から追い出された。政治家が生存するための出発点である「国会議員候補の公認」を受けられなかったからだ。同氏は「寝ていても、身を震えて起き上がるほど」、背信感らで身震いがした。政治資金問題で、裁判も受けた。同氏を追従していた人々は散らばった。権力政治を求めていた同氏には、世論も友好的でなかった。体と心が、病に冒された。

金潤煥氏が「それだけの事情を残し」「深い河のなかに潜って」いたが、生の広場を離れようとしている。同氏が、赦す気持ちのままこの世を去ってほしいと切実に思う。容赦は、疲れた魂を慰め、世の中を平和にする、最も強力な権力なのだから。

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