【コラム】光州ビエンナーレのジレンマ
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2026.09.09 14:01
美術ビエンナーレは、19世紀の帝国主義時代の産物だ。1851年のロンドン万国博覧会、エッフェル塔が公開された1889年のパリ万国博覧会が大成功を収めると、これに刺激を受けたイタリアが1895年にベネチア・ビエンナーレを創設した。グローバル化が本格化した1990年代は、ビエンナーレの全盛期だった。世界がより身近になるにつれ、地球規模の問題について美術を通じて発言する場として、またグローバル化に取り残された地域を活性化する手段として、ビエンナーレが次々と誕生した。
今年で16回目を迎える光州(クァンジュ)ビエンナーレも、1995年にこうした流れの中で生まれた。金泳三(キム・ヨンサム)政権は、「芸術の街」という光州のイメージにふさわしい形で、この地の傷を文化を通じて癒やしたいと考えた。巨額の国費を投じ、ハラルド・ゼーマンのような世界的なキュレーターに展覧会の企画を委ねた。光州の歴史的な傷と、それに美術を通じて向き合う試みは、ほどなく世界の美術界の注目を集めたという。現在、世界ビエンナーレ財団(biennialfoundation.org)に登録されているビエンナーレとトリエンナーレは計305に上る。ある美術評論家は「光州ビエンナーレは20位以内に定着しており、5位以内にも入り得ると評価されている」と語った。