【中央時評】韓国サッカー代表前監督の洪明甫と野球代表元監督の宣銅烈(2)
我々の社会において繰り返し見られる「一つのサイクル」がある。大衆の関心を集める領域で期待に及ばない結果や被害が発生すると、怒りが急速に拡散する。国会やメディアがこの怒りに便乗し、刺激的な質問や報道で注目度を高める中、特定の個人が公的な生け贄にされる。専門家は次々と公開の場に召喚され、失敗を生んだ複合的な状況や、多様な主体の責任はどこかに消え去ったまま、専門的な判断は個人の不道徳や無能のせいに単純化される。
特に国会は、事実をあぶり出して証拠と基準に基づき検証するべき場であるにもかかわらず、怒号が飛び交い、個人への侮辱を繰り返す舞台へと頻繁に変質してしまう。手続き上の責任と専門的な判断が区別されることなく、個人の能力や道徳性を審判し、一人の人間に対する公開の場での指弾によって事件が終結してしまう。そこでは相手に対する最低限の人間的尊重も消える。