<創刊企画「大韓民国トリガー60」(53)>9年間で農家の所得が10倍に…100カ国に広まった「良い暮らしを」(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.11.24 16:14
1969年8月3日、朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領は専用列車に乗って釜山(プサン)の方に移動していた。列車が慶尚北道清道郡(チョンドグン)を通過する時、車窓の外によく整備された村が目に入った。朴正熙は突然「ここはどこなのか。列車を止めてほしい」と指示した。停車したところはシンド村だった。スレートの屋根で改良された住宅と整頓された塀、きれいな村の道が視線を引いた。村の住民は「より良い環境を作ろうと村の総会で決議し、自発的に工事を進めた」と説明した。当時、金正濂(キム・ジョンリョム)商工部長官は回顧録『韓国経済政策30年史』で「朴大統領はこの経験を通じて勤勉・自助・協同精神を覚醒させれば農村全体を新しく変化させることができると確信し、これがセマウル運動の基礎となった」と振り返った。その後、青瓦台(チョンワデ、大統領府)はシンド村に金一封と共同電話1台、そして住民所得の増大に実質的に役立つよう羊も支援した。翌年4月22日、朴正熙は釜山で開かれた干ばつ対策会議で「雨だけを待つ惰性的な思考では発展しない」とし、農村の慢性的問題と意識構造を強く批判した。また「農民の自助精神を呼び起こす運動が必要だ」とし「こうした活動をセマウルづくり運動と呼んでもよい」と話した。いわゆるこの「釜山訓示」はセマウル運動が公式的にに始まる転換点となり、4月22日は「セマウルの日」に指定された。
セマウル運動は突然登場したわけではない。49年の農地改革法と58年に始まった地域社会開発事業は農村近代化の出発点だった。5・16軍事政変の直後、朴正熙は農民の生活を改善してこそ民心もつかむことができると考えた。政府は慢性的な農村問題の解決のために農漁村高利債の整理に着手した。農漁村開発公社を設立し、農工並進政策も進めた。農村女性の「節米貯蓄」(朝と晩に米を一握りずつ減らして集める方式)、村金庫運動など自助と節約運動も表れた。全国的には「農漁村所得増大特別事業」も始まった。伝統農業方式から抜け出し、市場性が高い作物を生産する営農構造への変化を図った。