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<尹大統領罷免>「軍隊が着々と従うという考え」…没落させた「戒厳錯覚」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.04.07 14:00
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「終わった」。12・3非常戒厳の夜、信じがたい戒厳令発動を知って親尹派の核心議員に電話をかけた別の親尹派議員は受話器の向こうからこのような声を聞いた。事実上死文化した条項の憲法77条の戒厳令宣言権を尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が突然取り出した時からこうした結末は予定されていた。

韓国を大騒ぎさせた戒厳令が2時間半で終わった時から、多くの人たちが12・3非常戒厳について同じ質問を投じた。「尹錫悦はなぜ戒厳宣言をしたのか」。戒厳直後に官邸で尹大統領に会った人たちも同じだった。尹大統領の答弁は毎回同じだった。「少し待ってみなさい」。何かが他にあるという暗示だった。大統領室の一部の参謀も戒厳直後に同じ言葉を繰り返した。

 
その実体を知るまで長い時間はからなかった。弾劾訴追案が国会を通過する2日前の昨年12月12日午前の緊急談話で、尹大統領は「私が非常戒厳という厳重な決断を下すまで直接明らかにできなかったさらに深刻なことが数多くあった」とし、不正選挙疑惑を提起した。

しかし不正選挙疑惑は2020年の総選挙以降から「アスファルト右派」から出ていた、ただし確認はされていない雑音にすぎなかった。尹大統領が不正選挙に関して公開した確実な事実もなかった。それなら無謀な選択にすぎない。それでも何が尹大統領に軍までを動員させたのか。

戒厳以降の捜査過程で表れた事実と周辺の伝言を総合してみると、尹大統領はかなり以前から戒厳を一つの選択肢として考慮していたと推定される。普段から「一度戒厳をやってしまおうか」という話をしていて、昨年の4・10総選挙で民主党が大勝した後からは「一掃しよう」という言葉を酒の席などで口にしていた。

尹大統領のこうした思考の流れは、内乱重要任務従事などの容疑で起訴された金竜顕(キム・ヨンヒョン)国防部長官の検察の起訴状にも表れている。起訴状によると、尹大統領は総選挙を控えてソウル鍾路区三清洞(サムチョンドン)大統領の別邸で、当時の金竜顕警護処長、呂寅兄(ヨ・インヒョン)防諜司令官らと食事をしながら「大統領の権限を通して暴くしか方法はない」と発言し、総選挙の4カ月後の昨年8月には「現在の司法体系下では(野党政治家を)どうすることもできないので非常措置権を使わなければいけない」と話したという。

尹大統領のスタイルも自らを縛ることになった。政治入門わずか9カ月で大統領選挙で勝利した尹大統領に汝矣島(ヨイド)の政治は消耗的に見えたし、政府・与党関係も垂直的に運営された。大統領室の参謀らが尹大統領に直接的に話すのは不可能に近かった。元竜山参謀は「尹大統領は大統領室の参謀はもちろん、与党の重鎮議員も自分の部下という程度に考えていた」と伝えた。

合理的な参謀の代わりに尹大統領のそばにいた人は忠岩高の1年先輩であり任期序盤に警護処長として至近距離にいた金竜顕国防部長官だった。親尹派の重鎮議員は「尹錫悦政権の序盤2年は与党が韓東勲(ハン・ドンフン)を越えられず、その後の1年は金竜顕を越えることができなかった」とし「大統領が韓東勲と遠ざけながら金竜顕に頼ることになった」と話した。

戒厳直後、官邸で尹大統領に会った与党指導者らの共通した伝言は「状況の深刻性を把握していないようだ」だ。「軍隊を経験していないためか、戒厳を宣言すれば軍隊が命令に基づいて着々と動くと考えていたようだ」と伝えながらだ。

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    <尹大統領罷免>「軍隊が着々と従うという考え」…没落させた「戒厳錯覚」

    2025.04.07 14:00
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    昨年12月3日、竜山大統領室庁舎で緊急ブリーフィングをした当時の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領。尹大統領は「非常戒厳を通じて亡国の奈落に落ちる自由大韓民国を再建して守る」と述べた。 [写真 大統領室]
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