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<米テロ1周年>同時多発テロの計画者は誰か

2002.09.05 21:40
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米同時多発テロの発生翌日となる2001年9月12日、米マスコミ各社は一斉にモハメド・アタという名のアラブ人がアメリカン航空旅客機(AA11)をハイジャックし、世界貿易センターに激突したテロ犯だったと報じた。

角張った顔に濃い眉毛、大きくぎらぎらした目が印象的な顔写真も一緒に載せた。2日後の14日、米連邦捜査局(FBI)はテロ犯19人全員の身元を公開し、その首謀者としてウサマ・ビンラディン氏を挙げた。テロ犯全員が死亡し、ビルのがれきに埋もれた遺体さえ発見されていない時だった。

 
FBIがわずか1日で犯人を特定した手がかりとなったのは、アタ容疑者が飛行機に搭乗する前、ボストンのローガン空港駐車場に止めておいた自動車の中から出てきた。アタ容疑者の直筆遺書と、アラビア語で書かれた飛行マニュアルが見つかったためだ。

テロ犯の身元が確認された以上、テロの真相を明らかにするのは時間の問題と思われた。だが捜査は遅々として進まなかった。これまで、テロとの直接的な関連から起訴された人は、わずか2人に過ぎない。以前から緻密な準備をしていたテロ犯らは、銀行取引や出入国書類などにいくつもの仮名をかわるがわる使っていたため手がかりを残さず、捜査陣を困惑させた。

既に、事件発生後から1年が立つが、誰がこのような想像を絶するテロを企画し資金を準備したのか、またどのようにテロリストを募集して訓練したのかなど、その全貌は依然なぞのままだ。

米国はいち早くビンラディン氏をテロの首謀者に挙げ、国際社会もこれを既成事実化した。だがビンラディン氏のテロ関連事実を立証する決定的な証拠は示せなかった。

現在米捜査当局が「同時多発テロの計画者」として追跡している人物は、クウェート出身の専門テロリストであるハリド・シェイク・モハメド容疑者だ。FBIは彼の逮捕に2500万ドル(約29億4000万円)の懸賞金をかけた。捜査当局は、モハメド容疑者が99年ハンブルグを数回訪問し、アタ容疑者ら同時多発テロの実行犯と会った事実を突き止めた。

FBIは、モハメド容疑者を追跡する過程で、同時多発テロとまったく同じ手口のテロ計画が、すでに95年ごろに立てられていたという事実に注目している。当時この計画は、フィリピンのマニラでテロ犯が爆発物を作っている途中に逮捕されたため、未遂となった。

だが捜査の過程で、モハメド容疑者が航空機を乗っ取り、米中央情報局(CIA)本部に激突するという計画を話し合ったという事実が新たに分かった。モハメド容疑者の計画が時間と場所を変え、同時多発テロとなって実行に移されたのだ。

米メディア各社は、彼らが「モハメド容疑者が核心人物」と陳述したとし、アタ-モハメド-ビンラディンと結ばれる同時多発テロ犯の系譜を推定している。いまだベールに包まれた同時多発テロの真相、そのベールがはがされるのは、モハメド、ビナルシブ両容疑者の逮捕にかかっていると、米メディアは指摘している。

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