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戦時になぜロックコンサートか 日常が崩れれば必ず敗れる(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.03.29 13:10
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◆人間なので

もちろん戦争前と同じであるはずはないが、日常を維持するにはまず衣食住が解決されなければいけない。それが安定すれば、さらなる人間の欲求を満たすことも重要だ。このため戦争中であっても各種の公演やスポーツ活動が重要な役割を担う。むしろ意図的にこうした活動を活性化することで戦争による苦痛を少しでも相殺しようとする。次はそのような代表的な事例だ。

 
第2次世界大戦当時、ドイツの帝国管弦楽団(現ベルリンフィル)は爆撃でコンサートホールが消える中でも1945年4月のベルリン戦闘直前まで公演を続けた。ナチスの行事に動員されたりもしたが、1942年から1944年までマグネットフォンで録音された実況公演音源はソ連の主要押収品目だっただけに貴重なものとして扱われた。冷戦後にデジタル音源として登場し、全世界で旋風的な人気を呼んだりした。

サッカーの国にふさわしく競技も絶えず行われた。現在の世界最高リーグの一つ独ブンデスリーガの前身がドイツサッカー選手権大会だが、1945年の降伏直前まで競技が行われた。1942年9月20日にベルリンで行われたスウェーデン代表との国家対抗戦には10万人の観客が集まったという。当時はスターリングラード都心での攻防が激しく、連日、多数の犠牲者が出ていた時期だった。

1941年10月20日、ソ連のレニングラードラジオ交響楽団は演奏会場付近に爆弾が落ちた中でもチャイコフスキー交響曲第5番を演奏した。当時レニングラードはドイツ軍に包囲された直後であり、将来が見えない状況だった。レニングラードを封鎖して降伏を受けようとするドイツ軍の戦略のため、食料が不足した都市の中で死体に手をつける悲劇的な事件までが生じる状況だったが、多くの市民が慰安のためにコンサートホールを訪れた。

包囲されて1年が経過した1942年8月9日、ショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」の初演が開かれた。多くの市民がコンサートホールを訪れると、市内の各地にスピーカーを設置し、より多くの人々が音楽を聴けるようにした。前線も同じで、ソ連軍の陣営はもちろん対峙中だったドイツ軍に向けても公演を中継した。砲煙が絶えないレニングラードが音楽の海に浸ったのだ。絶望的だった都市はこのように900日を耐え抜いた。

韓国戦争(朝鮮戦争)当時も同じだった。多くの演芸人は軍部隊慰問行事を開き、市民を相手に劇場や仮設舞台で公演した。創作と消費活動も続き、ソウル奪還後に発売された軍歌「友よさらば」は北進の感激のため大ヒットした。戦線が膠着状態となった1951年以降に登場した「強くあれ、クムスン」「戦線夜曲」のような曲は当時の世相をそのまま描写したものとして有名だ。

したがって今回のテロ事件が発生したコンサートの出演者や観客の大半はたとえ侵略戦争を擁護する人であっても、コンサート自体は決して非難される行為ではないということだ。現在、前線の状況は良くなくてもウクライナの若者がユーチューブにK-POPカバー映像を載せるのも同じだ。むしろ文化的な渇望を解消して海外にウクライナへの支援をを呼びかけるメッセージも同時に伝えるため「一石二鳥」といえる。

戦時にも日常は続かなければいけない。先に述べたように一見理解しがたい戦争中の公演活動もそのような側面で理解が可能だ。とはいえ、戦争がなく安心して暮らせることができればはるかによい。あたかも停電になった時に電気のありがたさを感じるように、戦争中には日常生活にうんざりもした過去が懐かしくなるしかない。現在戦争が続いているすべての地域に一日も早くそのような時期がまた戻ってくることを願う。

ナム・ドヒョン/軍事コラムニスト

戦時になぜロックコンサートか 日常が崩れれば必ず敗れる(1)

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