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見直される大谷、彼もフィアンセもただの平凡な男女

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2024.03.24 11:44
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30歳、祭りは終わった。私が好きな詩集の題名だ。なにかが終わるたびにふとこのタイトルを思い出す。イベントが終わればちょっと憂鬱になるものなのか。幼いころ名節の日の午後になると必ずそうなった。親戚を訪ねて新年のあいさつをし、楽しく遊んで家に帰ると静まり返っていて退屈した。そしてその真空のような静けさから憂鬱がにじみ出た。

大谷選手が去った後もそんな感じがした。大きなイベントのように大騒ぎだったが終わってみると少しむなしく何となくさびしい。なぜそうなのか。「漫画から飛び出てきたような男」から「品切れ男(既婚男性)」にレッテルを変えたためだろうか。だがフィアンセを連れてきたとしても大谷選手は依然として礼儀正しい男で格好良かった。確かに彼には暖かい微笑を浮かべさせる力がある。スポーツ選手が持っている健康さに立派な性格、ハンサムな容貌と途轍もないパフォーマンス、その上天文学的金額の年俸。こうした完璧に近い条件がまるで童話の中の王子様のイメージを演出したのだ。こうしたイメージにより到着当日の仁川(インチョン)空港はファンと取材陣で並みの騒ぎではなかった。

 
こうした浮き立った雰囲気を日本がさらに加えた。1週間前に日本のテレビ朝日から連絡がきた。なぜ韓国の若者が大谷選手に熱狂するかを知りたいとしてインタビューを要請してきた。昨年末に中央SUNDAYに掲載された私の文がPDの目に入った形だった。親ばかのような心情だっただろう。自分の優秀な息子がどれだけすごいのかを確認したい日本人の心情をわからないわけではなかった。しかし編集された映像を見るとどこかさびしかった。結局自分が聞きたい話だけ選んで聞くのだなと思った。

そういえば私も大谷を写真だけで見てきた。事実彼のホームランの飛距離と途轍もない変化球は別に編集されたスポーツニュースやSNSの短い動画がすべてだった。こうした事情はMLBのファンではないならばみんな似ているようだ。反復的な短い動画が大谷に対する「確証偏向」をさらに強固にさせる。大谷というアルゴリズムによって彼の存在はさらに神秘で驚異的な選手として拡大再生産されるだろう。

世の中の道理がそういうもののようだ。人間はいつも自分基準で社会を見る。大谷が好きな理由も、彼が持っているイメージが自分を喜ばせるためだろう。結局大谷も自分の満足のために存在する外側の存在にすぎないのだ。イベントが終った後に訪れる憂鬱も、その内と外の距離のせいかもしれない。内と外。自我と他者。この2つの対立項は日常とイベントの構造と一致する。この時に重要なのが距離を置くことだ。主体は他者と距離を置く時にはじめて主体になる。この距離を倫理的に話せばマナーとなりエチケットになる。日常がイベントと区分されるように他者は主体の外側でいつも一定の距離を置いて存在しなければならない。子どもと親も、友人間でも、さらに愛する人とも一定の距離は絶対に必要だ。この距離を計れない時に対立があり争いが起きる。

大谷が帰ったので大谷が再び見られる。大谷も彼のフィアンセもただの匹夫匹婦(平凡な男女)だ。数年間彼を世話してきた通訳が通帳からお金を引き出してもわからない、つぶれそうに柔らかい人間だ。彼の試合を、彼の暮らしを、暖かい視線で眺めるが過度に没頭するのをやめよう。人間は少し間隔を置く時にさらに美しく長続きする。神宮球場の外野席に座り缶ビールを飲みながらヤクルト・スワローズの試合を観戦した春樹のように、そうやって野球を楽しもう。夕方にソファに横になり柳賢振(リュ・ヒョンジン)の三振に親指を上げながら格好良く生き延びた1日を慰めるその日常の美学を長く楽しもう。それが生きる醍醐味だ。

キム・ジョンヒョ/ソウル大学研究教授・スポーツ哲学

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