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<ヒョンデ研究>時速100キロでアウディをぶつけた、ジェネシスの命運かけた「ショッキング広告」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.10.10 11:09
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「2005年に(ヒョンデから)起亜へ異動した後に会長室から呼び出されました。行ってみたところ現在のエンブレムを含め3~4種類の候補がテーブルに置かれていました。鄭名誉会長が意見を聞いてきました。『海外営業が長いからマーケティングの側面でどれが良いか考えなさい』という趣旨と理解しました」。

◇「初期目標は輸入車牽制、ポルシェの痕跡も」

 
ヒョンデは2008年に「ジェネシスBH」を発売する。「ダイナミックラグジュアリー」というスローガンも掲げた。テレビ広告は破格そのものだった。「ドイツの名車と時速100キロメートルでの実車正面衝突テスト」という文言を前面に出した映像にはジェネシスBHとアウディA8の衝突場面を入れた。米国の映像専門家を南陽研究所に呼んで撮影したものだった。ドイツ車との正面勝負を避けないという意味を込めた。

当時開発に参加したヒョンデ出身のデザイナーは「ジェネシスBHは開発初期から韓国市場に押し寄せる輸入車を牽制しようという目的が大きかった。デザインで見るとポルシェの痕跡が残っており完全な独立とみるには難しかった」と話す。その後ジェネシスBHは韓国市場だけで累積販売20万台を超えそれなりに善戦した。だが内需用という限界は明らかだった。

この時も内部的にはジェネシスブランドの独立が検討されたが実行されなかった。ヒョンデ関係者は「2008年の世界的金融危機で高級車市場が萎縮し、内部基準の完ぺきな充足と複数のラインナップ確保が必須という主張が提起されブランド立ち上げを先送りした」と説明した。北米のディーラーがブランド分離に反対したのも制約要素だった。

◇一発ではだめ…「ジェネシス・プラダ」の失敗

このころヒョンデは苦い失敗を経験する。2011年に発売した「ジェネシス・プラダ」の話だ。いま振り返ると跳躍の踏み石になった形ではあるが。

ジェネシスBHの成功的な発売後、ヒョンデは「別のもう一発」を準備した。イタリアの高級ブランドのプラダと組んで2年余りの準備を経て「ジェネシス・プラダ」を2011年5月に韓国で発売した。高級ブランドと組んで一気にラグジュアリーイメージを得ようという計算だった。車にジェネシス・プラダのロゴと車両固有の番号を刻んだシリアルナンバープレートを取り付けた。

だが市場はヒョンデの思った通りには反応しなかった。国内販売台数を1200台と定めた限定販売商品だったが年末まで300台の販売にとどまった。同年ベンツ「Eクラス」は7019台が売れ輸入車1位になり、BMW「520d」は6211台が売れた。

ブランド業界では2007年に発売して100万台以上売れたLGエレクトロニクスの「プラダフォン」とは違う見方をすべきという指摘も出た。大林(テリム)大学未来自動車学部の金必洙(キム・ピルス)教授は「大衆的なヒョンデのブランドイメージをジェネシス・プラダが超えられなかった事例」と評価した。

◇鄭義宣、タスクフォースに「ラグジュアリーとは何か」話題に

しかし毒が薬になったのだろうか。ジェネシス・プラダの失敗はジェネシスブランドの独立にスピードを出す契機となった。その後ヒョンデ内部にはラグジュアリータスクフォースチームが作られた。

当時副会長だった鄭義宣現代自動車グループ会長が投げかけた話題は「ジェネシスらしいとは何か」と「ラグジュアリーとは何か」だった。やや禅問答のようにも聞こえる質問だが、ラグジュアリーブランドに進むためには避けられない質問だった。当時タスクフォースに参加したあるデザイナーの話だ。

「ラグジュアリーブランドを研究してみろという主題で3~6カ月以上の長期出張に出ました。はっきりとした指示もなかったです。欧州に行って人々がラグジュアリーブランドをどのように消費し、どのような観点に影響を受けるのか原点から見直してみようということでした」。

その後ヒョンデは2015年11月にジェネシスブランドの独立を発表した。鄭義宣副会長(当時)はソウルの東大門(トンデムン)デザインプラザで開かれたブランド発表行事でジェネシスをこのように定義した。これは自身が投げた禅問答に対する答でもあった。

「われわれが新たな挑戦をする理由はひたすら顧客にあります。ジェネシスブランドは『人間中心の進歩(Human-centered Luxury)』を指向します。顧客は誇示のために格好をつけるより自身の格好良さが日常で自然に現れることを望みます。時間と努力を大切にする賢明な所有経験、使うほどに満足感が高まる実用的革新に感動します。これが一次元高い新たなブランドの価値であり、ジェネシスはこうした市場の変化と顧客の期待に応じたいと考えています」。

◇クアッドランプとジェネシスハウスで独自路線

ジェネシスは2020年にシグネチャーデザインで生まれ変わった中型ラグジュアリーセダン「GV80」を発表した。ジェネシスのシグネチャーとなった2本のラインでデザインしたクアッドランプを初めて適用したモデルで、鄭義宣会長が迎え入れたルク・ドンカーボルケ社長が車両デザインを主導した。

ドンカーボルケ社長は昨年3月、ワールド・カー・アワード授賞式のインタビューで「自動車をデザインする時は(完成された)過去の自動車デザインを絶対に考えない。常に白紙から再び始める気持ちを堅持する」と話した。彼が描いたクアッドランプはジェネシスの象徴として残っている。

ジェネシスは現代自動車グループ内部でヒョンデ・起亜とは違う別途のブランド組織として運営される。明確な差別化戦略だ。2021年11月に開設されたニューヨークのジェネシスハウスが代表的だ。地下1階~地上2階で整えたジェネシスハウス周辺にはサムスン電子、テスラ、グーグルなど世界的企業の店舗が並んでいる。

ジェネシスハウスは車両展示スペースであり韓国文化体験スペースだ。ハウス2階にはレストランとテラスガーデン、図書館がある。全体的なデザインコンセプトは韓国式家屋をモチーフにした。1階の展示場が車で構成されやや冷たい感じならば、2階はこぢんまりとして穏やかな感じだ。ディナータイムだけ運営するレストランでは宮廷料理とビビンバなど韓国料理を販売する。

ラグジュアリーセダンと韓国料理を同じ空間に配置した意図は何か。デシニョティナインデザイン研究所のチョン・ヨンウ所長(元UNIST教授)は。「世界的に韓国カルチャーに対する肯定的なイメージが高まっているためジェネシスブランドにもこれを借用しているとみられる。最近ではジェネシスにソウルを背景にした広告が増えているのも似た脈絡」と解釈した。

実際に米国でジェネシスは好調を続けている。昨年の全販売台数の4分の1ほどである5万6410台を売った。これは2020年の1万6384台から3倍以上に増えたのだ。

◇「欧州で成功してこそ真のラグジュアリー」

だがまだ「越えられない壁」もある。唯一欧州で力を出せていないためだ。ジェネシスは国別販売台数を公開していないが、韓国と米国の販売台数が世界販売の大部分を占める。昨年ジェネシスの欧州販売台数は月平均200台ほどだという。ベンツとBMWは昨年欧州だけでそれぞれ60万台以上を販売した。レクサスの昨年の欧州販売台数は3万7000台水準だ。

欧州市場の高い壁は多様な理由で説明される。ひとまず欧州の消費者は新技術や文化を受け入れるスピードが米国の消費者に比べて遅い。2008年から15年にすぎないジェネシスブランドの歴史に照らしてみれば100年を超える歴史を持つベンツなどに一気に追いつくのは不可能だ。

弘益(ホンイク)大学産業デザイン科のク・サン教授は「1世紀を超える歴史を持つ欧州車ブランドと比べ深くない歴史性はジェネシスブランドの最大の弱点。これに先立ちスタートしたレクサスも苦戦している欧州市場でジェネシスが一定の軌道に乗るまでには相当な時間がかかるだろう」と予想した。

<ヒョンデ研究>時速100キロでアウディをぶつけた、ジェネシスの命運かけた「ショッキング広告」(1)

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    <ヒョンデ研究>時速100キロでアウディをぶつけた、ジェネシスの命運かけた「ショッキング広告」(2)

    2023.10.10 11:09
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    鄭義宣現代自動車グループ副会長(当時)が2017年9月にソウルのオリンピック公園で開かれた「ジェネシスG70」公式発売会であいさつをしている。ジェネシスのシグネチャーになったクアッドランプを初めて適用したモデルで、鄭会長が迎え入れたルク・ドンカーボルケ社長が車両デザインを主導した。[写真 ジェネシス]
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