주요 기사 바로가기

反目・和解を繰り返した南北関係、北朝鮮の相次ぐICBM発射で悪化の一途

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2023.07.22 09:09
0
停戦70周年を迎えた韓半島(朝鮮半島)はその間、反目と和解を繰り返してきた。停戦直後の1950-60年代にはスパイ浸透および拉致事件が続くなど南北の葛藤が絶えなかった。1968年には北朝鮮特殊部隊が青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)襲撃を狙った1・21事態をはじめ、蔚珍(ウルチン)・三陟(サムチョク)武装共産軍浸透事件など直接的な対南浸透も相次いだ。

その後、1971年の南北赤十字会談をきっかけに南北対話が始まり、翌年には7.4南北共同声明が発表され、南北公式交流の場が開かれるようだった。しかし長くは続かず南北関係はまたふさがり、むしろ板門店(パンムンジョム)ポプラ事件(1976年)、ラングーン事件 (1983年)、大韓航空機爆破事件(1987年)など国内外で爆弾テロが相次ぎ、極度の緊張状態に入った。

 
1990年代には脱冷戦時代を迎えて南北が国連に同時加入するなど南北関係がまた改善に向かうかと思われたが、1994年に北朝鮮の核危機が高まり戦争の入り口にまで近づいた。当時の戦後最悪の危機状況はジミー・カーター元米大統領が南北を同時訪問して仲裁したことで落ち着いた。にもかかわらず1999年に延坪島(ヨンピョンド)で韓国戦争(朝鮮戦争)以降初めて海上戦闘が発生するなど軍事的衝突は絶えなかった。

2000年代の南北関係は温と冷を行き来した。2000年に当時の金大中(キム・デジュン)大統領は停戦後初めてとなる南北首脳会談を開いて6・15南北共同宣言を発表し、南北関係に歴史を刻んだ。しかし2002年の第2次延坪(ヨンピョン)海戦、2003年の北朝鮮の核拡散防止条約(NPT)脱退、2006年の北朝鮮の核実験などが続き、南北関係はまた冷え込んだ。2007年の南北首脳会談でしばらく解氷モードに入ったが、2008年に金剛山(クムガンサン)観光客射殺事件が起きて交流が断絶した。2010年には韓国哨戒艦「天安」襲撃、延坪島砲撃などが続き、南北関係は最悪に向かった。

金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の執権後にも北朝鮮は核実験とミサイル発射など挑発を続け、韓国も強硬姿勢で対抗し、一触即発の危機状況が続いた。こうした中、2018年に北朝鮮が平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)に参加して南北合同チームも形成し、南北関係が急速に緩和し始めた。南北首脳会談も年に3回開催された。2019年には停戦以降初めて韓米朝3カ国の首脳が板門店で会談した。

しかし米朝関係がまた悪化すると北朝鮮は挑発を再開し、南北関係も悪化の一途をたどることになった。2020年6月に北朝鮮が開城(ケソン)にあった南北共同連絡事務所を爆破したのが象徴的だ。昨年12月には北朝鮮の無人機が首都圏一帯の領空を侵犯するなど挑発の程度も高まっている。北朝鮮は今年も大陸間弾道ミサイル(ICBM)を相次いで発射し、南北は容易でない状況で停戦70周年を迎えることになった。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP