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【コラム】韓日関係を磨く道、私たち周辺の貴重な話(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.04.14 11:36
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もう一つ、遠い昔の記憶を思い出す。私が通った崇実中学校では毎日チャペルの時間があった。そのたびにピアノ伴奏をするイ・ヒョンウンという同じクラスの友人がいた。父親が牧師だったために早くから教会でピアノを習ったようだ。3年の時、私が神社参拝拒否で学校を離れた後からは会う機会がなかった。

聞いた話によると、私と似た年齢で日本に行った友人は音楽の勉強をしている途中、学徒兵として南太平洋戦線まで行き、終戦を迎えて日本に戻ったようだ。当時そのような状況の韓国人は帰国するのが難しい状況だった。彼は日本に留まりながら音楽の勉強を続け、愛する日本の女性と結婚した。堂々と韓国人として国際結婚をしたのだ。

 
歳月が流れると、彼の音楽の実力と作曲が認められ、日本の生徒を教えることになった。名前を変えて国籍を移した。後に著名な作曲家、演奏家、教授になった。我々は彼の日本名を知らなかったため誰であるかは知らずに過ごした。中学校の先輩の彼の実兄を通してそのような事実を知った。

その兄は特異な生涯を送った。崇実中学を卒業し、宣教師の支援を受けて早くから米国に留学した。神学を終えて牧師になったが、米国の教会や韓国系の教会を離れ、米国原住民のための宣教師になった。原住民はもちろん米国のキリスト教界でも関心と尊敬を受ける牧師になったのだ。そして2、3回、韓国を訪問した。

その兄の牧師の言葉だ。「私の弟は今でも日帝強占期の痛みを記憶する韓国人から誤解を受ける。しかし私は弟の選択が正しかったと信じる。日本の人々の尊敬と愛を受ける韓国人が増えることを望むからだ」と語った。

◆「両国の若者が協力すべき」

2001年1月26日、東京で李秀賢(イ・スヒョン)君が線路上に転落した日本人を助けようとして命を落とした事件があった。27歳の若い大学生だった。彼の祖父も日帝強占期に炭鉱に徴用された過去があった。73歳になった李君の母親は「過去を忘れることができなくても、両国の若者たちのためにお互い協力しなければいけない」という心情を告白した。解放後、我々は日本と同等な地位に近い国になった。お互い苦痛の過去を乗り越えて新しい歴史を創造していくべきではないかという思いを伝えてくれた。

歴史の過去は新しい世の中を開く未来創出の教訓にならなければいけない。その義務を妨害したり放棄したりする国に希望は訪れない。

金亨錫(キム・ヒョンソク)/延世大名誉教授

【コラム】韓日関係を磨く道、私たち周辺の貴重な話(1)

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