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【コラム】イランのヒジャブ、他人事ではない=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.10.23 13:23
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先月中旬に発生したこの事件によりイラン全域で1カ月にわたりデモが広がっている。幼い少女を含む女性たちは「女性、生命、自由」を叫んでヒジャブを燃やし公開で髪を切っている。髪のために女性を侮辱して殺したことに哀悼と連帯と抗議と憤怒を表現する意味という。考えてみればめちゃくちゃなことというほかない。それしきの髪がどれほど大事でそれを隠せとそれほどまでにがむしゃらになるのか。ヒジャブを使おうが使うまいが個人が選択すべきだ。

デモ関連の死亡者は200人を超えたが18歳未満が相当数という。若い女性が不当にくやしく公権力によって暴力的な死を迎えたとしても抗議と憤怒の規模と程度は意外に大きいというほかない。これはこれまでさまざまな分野で抑圧されてきたイラン女性たちの憤怒、特にもう少し自由な未来があることを望む若い女性たちの熱望があふれたものといえる。

 
ひとりの無惨な死が契機になりこれまで静かだった市民の大多数がデモに参加することになり、ついに政権ないし社会体制が変化する経験とは韓国社会では見慣れないものではない。しかしこうした転換的な結果をもたらすためには女性だけでなく男性もやはり抗議とデモに参加しなければならない。ヒジャブ強制着用と女性人権の抑圧に対抗したイラン女性のデモは過去にすでに失敗したことがあるが、これは女性に服装に関する自由と選択権を与えること、一歩進んで女性の人権にイラン社会が価値を付与しなかったためだろう。ただ今回のデモは民族主義、経済状況に対する不満、さらに宗教が社会を支配することに対する抗議にまで広がっているようなので見守るべきことだ。

韓国でイラン女性に対する連帯を表明するデモがテヘラン路ですでに何度かあった。韓国社会はもうこうした人権侵害的事態に対し関心と支持をさらに積極的に表現し介入を模索するほどの位置になったことを自覚しなければならないのではないだろうか。関心と支持を表明するのは他の社会の宗教や人々のスタイルを非難し軽蔑するのとは違う。この事件を言い訳にムスリムに対する嫌悪と差別を広げてはならない。むしろこの機会を借りて韓国社会もやはり他人、特に女性やマイノリティに望まない信仰や価値観を強要するやり方が存在したりしないか反省し進む方向を考えてみるべきだ。私たちはヒジャブを着用しろと強要したりはしないからと満足すべきではないという話だ。

キム・セジョン/SSWプラグマティックソリューションズ弁護士

【コラム】イランのヒジャブ、他人事ではない=韓国(1)

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