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「北漢山、京畿道所属は日帝の残滓」…保坂祐二教授「ソウルに移さなければ」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.04.12 08:35
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韓国に帰化した日系韓国人であり「独島(ドクト、日本名・竹島)専門家」とされる世宗(セジョン)大学の保坂祐二教授が11日「北漢山(プッカンサン)の一部の行政区域が京畿道に属しているのは日帝の残滓」として「ソウル市に移転しなければならない」と主張した。北漢山は現在、ソウル市と京畿道高陽市(コヤンシ)・楊州市(ヤンジュシ)・議政府市(ウィジョンブシ)の境界にまたがっている。北漢山三代峰と知らされた白雲台(ペクウンデ)と仁寿峰(インスボン)も行政区域上高陽市だ。

保坂教授はこの日、記者会見を行って「本来北漢山全体は朝鮮建国当時から漢城府(ハンソンフ、ソウル)所属だった」として「日帝強制占領期間天皇が勅令で朝鮮総督府地方官管制を宣言し、都市計画を発表する過程で北漢山が除外された」と話した。『朝鮮王朝実録』によると、北漢山はソウルの祖宗山(チョジョンサン、主山の根本になる山)であり、韓半島の中岳(韓国5大名山の中で中央にある山)だった。漢陽(ハンヤン)に首都を建設した朝鮮時代の王たちは北漢山を国家の中心とするほどだったという。『高宗(コジョン)実録』第43巻には「大韓帝国の中岳は三角山(サムガクサン、北漢山の旧名)」という記録がある。

 
だが、1910年日帝韓日併合と同時に「京城府土木事業」が実行され、北漢山の「籍」が変わった。当時、日帝は大韓帝国の首都「漢城府」を「京城府」に変えた。その後、1914年都市計画を立案する法律的土台となる第375号「朝鮮総督府土木会議管制」により、京城府の面積を既存の漢城府(ハンソンフ)の5分の1水準に減らした。大韓帝国首都の地位・意味を失わせるための措置だったという。偶然にも、この時、北漢山も京城府から除外されて京畿道高陽郡に編入されたというのが保坂教授の主張だ。

保坂教授は「日本は北漢山を京城府に所属させるべきだという概念自体がなかったし、むしろ独立活動家や義兵が北漢山を拠点として活用することができるという治安的観点だけで考えた」と指摘した。

また「1945年以降ソウルは本来漢城府範囲に復元されたが、北漢山地域の一部が戻ることができなかった」として「日帝の蛮行を完全に清算するために、北漢山の地位と所属を(ソウルに)原状復帰しなければならない」とした。

これを受け、高陽市関係者は「北漢山の『1番地』が高陽市という事実自体だけでも高陽市民が北漢山に持つ意味が格別だ」として「(行政区域を移転するには)住民合意・法律的検討などを経なければならない。簡単に接近する事案でない」と話した。

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    2022.04.12 08:35
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    現在のソウル特別市の行政区域境界図。赤い円は北漢山で、一部の地域が京畿道高陽市に編入されている。[写真 世宗大学独島総合研究所]
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