【コラム】韓国戦争「祗平里」に大韓民国の生存懸けた…中国の人海戦術を撃破した勇気
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.02.01 16:43
1951年1月15日に実施したウルフハウンド作戦により普及が困難な中共軍の弱点を把握した米軍第8軍のリッジウェイ司令官は、中部戦線に集結した共産軍の主力を殲滅すれば状況を逆転させることができると判断した。ところが1月4日にソウルを再占領した後、1カ月以上同じ場所に滞在し、部隊再編中だった共産軍も中部戦線で新たな攻勢を予定していた。結局、洪川(ホンチョン)から横城(フェンソン)に至る軸線は巨大な戦場に変わる運命だった。
1月31日、攻勢に出た国連軍は戦線を30キロメートル以上北上させた。この時、左翼を担っていた米軍第2師団第23連帯も2月3日、楊平郡祗平里(ヤンピョングン・チピョンニ)を占領した。しかし、共産軍が旧正月直後の2月11日、いわゆる第4次攻勢を始めると戦況は逆転した。三馬峙の峠で国軍第8師団が崩壊し、戦線に大きな穴が開いたため、結局国連軍は10日前の進撃路を後退し始めた。この時、祗平里に駐屯していた米軍第23連帯も驪州(ヨジュ)に戻ろうとした。