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アジア人殴る黒人映像の恐怖…白人の「ガスライティング」だった(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.07.01 16:33
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◆米国に殺到した韓国人

1965年に移民法が改正され、68年に発効されたことで、韓国人も米国に殺到した。当時、韓国政府も人口増加の問題を解決しようと、1962年に海外移住法を制定し、海外移民を奨励した。2つの制度がかみ合い、韓国の現実に失望して「アメリカン・ドリーム」を夢見る高学歴の人々が米国移民を選んだ。1980年、韓国人移民の大学卒業者の割合は31.6%で、米国人16.2%の2倍に近かった。1970年に9314人だった韓国人移民は1980年3万2320人に増え、その後、毎年3万人を超える人々が太平洋を渡った。

 
しかし、いくら高学歴でも、辺境のアジア人が米国の主流社会に編入するのは事実上不可能なことだった。白人優越主義と文化・言語の障壁を克服するのは困難だった。比較的経済的に余裕のある韓国人はLAコリアンタウンに代表される米国西部に自営業として定着したが、鶏を絞めたり果物を収穫する肉体労働の仕事を選ぶ人も多かった。

問題は、韓国人が定住した場所は、黒人居住地域が多かったという点だ。文化と言語の違いが黒人と韓国人の間の誤解の溝を深めた。黒人は自分たちが住んでいる地域でお金を稼ぎながらも、自分たちと交流しないようにしようとする韓国人に不満を積もらせた。キム・ドンソク代表は「韓国人が商売する地域は黒人のコミュニティなのに住まいは白人のコミュニティだから、政治家を後援するとしても共和党の白人議員を中心に後援するため、黒人が韓国人を好意的に見ることはできなかった」と説明した。

◆米国の主流の人種分断

黒人と韓国系の摩擦を更に煽ったのは白人主流の社会とメディアだった。1980年代から米国ではアジア人を「模範的な少数民族(Model Minority)」と崇める言葉が登場し、流行し始めた。当時、韓国・日本が経済的に成長し、移民も米国社会に無理なく適応しているのが、他の少数民族の模範になるという意味だ。多分に差別的味方が含まれた用語だった。白人に搾取されながら抵抗してきた黒人は激怒した。

1992年、黒人のロドニー・キング氏が白人警官に集団暴行された事件で、加害者が無罪評決を受けた。黒人社会が怒りで爆発し、同年4月にLA暴動が起こった。暴動当時、警察は白人密集地域を鉄壁のように守った。代わりに街角にいた韓国系米国人の店が襲撃を受け、2000店以上が被害を被った。財産被害は3億~5億ドルに及んだが、州や連邦政府レベルの補償はなかった。キム・ドンソク代表は「その後、韓国系米国人は地域社会の一員としてのコミュニティに参加し、黒人との交流を拡大するための努力を始めた」と述べた。

現在、韓国系米国人は、アジア人の中で最も活発に米国の政治に参加している。米国下院議員のアジア系は16人だが、そのうち4人が韓国系でインド系と共に最も多い。特に共和党下院議員はアジア系が2人だが、いずれも韓国系だ。

また、黒人と感情的にも実質的に最も深いつながりを持つのが韓国系だ。2020年にアジア系米国人の有権者の調査で黒人差別が存在するかという質問に「そう思う」と答えた割合は、韓国系が92%と最も高かった。アトランタの連続銃撃事件で韓国系女性4人が死亡した3月には、LAコリアンタウンで40以上の韓国人団体の主管でアジア人に対するヘイトクライム根絶を要求する集会が開かれたが、黒人・ヒスパニック系団体が大勢参加し、団結した。

アジア人殴る黒人映像の恐怖…白人の「ガスライティング」だった(1)

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