【韓日中三国志】豊臣秀吉の鳥銃に圧倒された朝鮮、武器が弱ければ血の涙流す(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.06.04 11:46
1543年(中宗38年)8月25日、九州南側の種子島にポルトガル人が乗った中国船が漂流し、日本に鳥銃(火縄銃)が伝わった。当時16歳だった種子島の領主、種子島時尭(1528-1579)はこの新しい武器に熱狂した。時尭はポルトガル人に高値を支払って鳥銃2丁を購入した。時尭は鉄匠に鳥銃を分解させ後、模倣して作るよう指示した。また家臣に火薬を作る方法を学ばせた。
1年ほど経つと、時尭は鳥銃数十丁を製作するのに成功し、これは薩摩(現在の鹿児島県)を経て大阪など日本各地に伝播した。戦国時代を迎えて新武器の需要が多かったうえ、刀の製造などで早くから蓄積されていた鍛造・冶金技術などを生かし、日本の鳥銃生産は急増した。