주요 기사 바로가기

2年間で携帯電話着信0件…命と対等交換をした漫画『ベルセルク』(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.06.03 14:07
0
しばらく関心から遠ざかった漫画『ベルセルク』を最近再び読み始めた人が多いらしい。連載30年を越えたこの漫画が新たに韓国と日本で再びベストセラーに入っているためだ。『ベルセルク』を描いた日本の漫画家、三浦建太郎氏が先月6日、54歳の若さで亡くなったことが伝えられた。先月20日、ツイッターを通じてこの知らせを伝えた出版社によると、死因は「急性大動脈解離」だという。突然の訃告だった。

三浦氏は大学卒業後の1985年、漫画『再び』でデビューし、1989年からはダークファンタジー漫画『ベルセルク』を今まで32年間描き続けてきた。単行本は40巻まで出ていて、5000万部以上売れた。TVアニメとしても制作されて人気を呼んだこの作品の結末は、結局誰にも分からないままとなった。

 
『ベルセルク』のあらすじを手短に紹介することは簡単ではない。ただ、この漫画を初めて見た時、途方もないスケールと過激な描写に衝撃を受けたことを思い出す。何より、主人公が着た鎧の濃く鈍く光る陰影まで、そして背景の木の葉脈一本一本まで細密画のように描き込まれた絵に、「こういうものを描く人はいったいどんな人なのだろう」と気になったりもした。

◆「2年間携帯電話の着信は0件」

訃報が伝えられた後、読者が哀悼の意を込めてSNSに投稿しているコメントを読み、「やはり」と思う気持ちが強くなった。三浦氏はインタビューに応じたりテレビに登場することがほとんどなかった。ひたすらできあがった漫画だけで語るベールに包まれた作家だった。いや、それよりも作品以外の活動をする時間がほとんどなかったと言おうか。

日本漫画雑誌には作家が巻末コメントを寄せる。『ベルセルク』の雑誌に掲載された巻末コメントを集めると、漫画に「魂を削って込めていた」三浦氏の生き様が垣間見える。「考えてみれば今年はまだ2日しか休んでない」「平均睡眠時間が4時間を切った」などと綴っていた。

自嘲的なコメントは続く。

「ひと月半ぶりに休みがとれて外出したら熱射病にやられた!!」(1995年)

「新年会にむけて服や靴を買った」(1996年)

「2年間着信ゼロ。携帯解約しよ。まずしい人間関係が私を机に向かわせる原動力」(2002年)

「30代もあとわずか。マンガ以外何もないイビツな人生だがもうとりかえしがつかないのでこのままGO!」(2006年)

「休載の間もずっと兵隊を描いてました」(2007年)

三浦氏はアシスタントの手を借りないで、ほぼすべての過程を一人でこなしていたという。完ぺき主義者だったのだろう。2015年からはデジタル機器を使って絵を描き始めたが、かえって「ディテール病」が進んでしまったともいう。デジタルの絵は際限なく拡大できるため、どこまでも大きく拡大して描き込んで、小さな点一つまで気を遣うようになった。三浦氏を担当する編集者は何度も「先生、やめてください」と話したという。

2年間で携帯電話着信0件…命と対等交換をした漫画『ベルセルク』(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP