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【コラム】民族解放という想像界、韓国与党586の世界観(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.02.10 14:52
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◆わが民族という想像の共同体

一言で「民主党=独立軍、国民の力=土着倭寇」という想像界は歴史ではなく、彼らの頭にだけ存在するストーリーだ。その虚構の話の中では、体制が全く違う韓国と北朝鮮も海外勢力に抵抗する一つの運命共同体として表象される。彼らが話す「祖国」は大韓民国でなく、この想像の民族国家を指す。

 
「韓半島の平和と民族の自主的な位置」という言葉は結局、海外勢力を排撃して我々の運命を我々の民族が決めようという意味だ。この浪漫的な観念は想像界の北朝鮮を現実の北朝鮮と錯覚するところからくる。この混同が北朝鮮の善意に対する非現実的な期待感を生む。今回の北朝鮮原発事件もそれと無関係でないとみられる。

その計画は「利敵行為」と呼ぶものではない。ただ、公務員がなぜ資料を削除しようとしたのかはまだ説明されていない。おそらく上からの指示で、当時容認されていた水準と速度を越えて事業を無理に推進しようとしたようだ。見方によっては「統治行為」という尹建永(ユン・ゴンヨン)議員の言葉は、脱原発でなく北朝鮮原発を指すのかもしれない。

北朝鮮に関連して民主党議員の失言が多いのも「朝鮮は一つ」というNL想像界と関係がある。太永浩(テ・ヨンホ)議員を「変節者」と呼んだ文貞福(ムン・ジョンボク)議員の暴言、「米国は核5000個保有するのに北朝鮮は持つなということか」という宋永吉(ソン・ヨンギル)議員の失言は、その想像の共同体と結んだ情緒的連帯感が無意識的に表出したものとみられる。

◆想像は現実でない

小説『太白山脈』はNL想像界の重要な一部を形成する。ある世代がこの小説を現代史の勉強に置き換えたからだ。その本もかつて反共のタブーを破る進歩的な役割をしたはずだ。しかしその著者が「反民特別委を復活させて150万人にのぼる親日派を断罪すべき」と話したことで、その裏面の反動性を赤裸々に表してしまった。

NL想像界はいくつかの問題の正しい解決を妨害してきた。慰安婦問題も「韓日戦」フレームで両国の市民社会を分けるものではなかった。民族でなく世界市民の観点に立ち、それを個人に対する国家の暴力、女性に対する男性の暴力に反対する韓日両国市民の共同議題にすべきだった。

想像界を現実の代替とすることはできない。内需用竹槍で外交問題を解決することはできない。あれほど大騒ぎしたが、姜昌一(カン・チャンイル)駐日大使は「日王」ではなく「天皇陛下」に信任状を奉呈し、大統領は慰安婦判決に「困惑している」とし、日本資産を強制執行しない意向を示唆した。最初から民族を呼び出すものではなかったのだ。

◆民族が君を呼ぶ

心配なのは、この時代と合わない対立的民族主義が次の世代に相続されることだ。比較的理念から自由な若い世代の反日は「日本にのみ込まれる」という被害意識より「もう対抗できる」という対決意識に近い。古いNLストーリーがその理念の空白をついて分別のない「国粋」ゲームに世界観を提供しているのだ。

何気なく主体に呼び出された人たちは脳容量が1ビットに縮小され、世の中を白黒の二分法で眺めることになる。検察=司法府=言論=国民の力=土着倭寇。この等式は必要に応じて任意に延長される。問題は土着倭寇という表現に含まれた人種主義情緒だ。与党が乗り出して人種主義偏見を容認して助長するのだから情けない。

「解放後に親日清算がされず、へつらう者たちが出世し、正しい人たちが迫害を受ける屈折した現代史を持つことになった」。検察の人事を見ると、彼らの言葉は正しいようだ。果たして権力の走狗は栄転し、原則を守った人たちは左遷された。このように彼らは熱心に現代史を「屈折」させている。いったい誰が親日派の後えいということなのか。

陳重権(チン・ジュングォン)/元東洋大教授

【コラム】民族解放という想像界、韓国与党586の世界観(1)

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